数々の陰謀論の特徴を抽出しパターン化
――本書を執筆する過程で、呉座さんは多くの陰謀論の本を読み込んでいます。そのなかで、どのような特徴が見えてきたのでしょうか。
今回、本の中で約20の陰謀論を検証しました。保元の乱を手始めに、源義経をめぐるもの、足利尊氏や関ヶ原の戦いについての陰謀論などを取り上げましたが、陰謀論を語る人たちの本をひたすら読んでいて抱いたのは、よくこれほど想像を膨らますことができるな、という感想でした。それこそ「本能寺の変」だけでも、先ほど言ったように複数犯説からイエズス会の陰謀説まで、多種多様の説がまるで自分が現場を見てきたかのようにリアルに語られているのです。
そのうちに痛感したのは、そうした無数の陰謀論を個別に批判しても、もぐらたたきのように新しい説が出てきてきりがない、ということでした。陰謀論者たちはそれなりにもっともらしいことを述べるし、「これが証拠だ」と言って一応は史料も掲げる。彼らが引用している史料を一つひとつ解釈して、「○○氏の説は成り立たない」と反証する作業を繰り返してもこれは意味がないぞ、と。
そこで、私は数々の陰謀論の特徴を抽出し、それをパターン化することにしました。
陰謀論というのは普通の人が思いつかないような意外性のある説を唱えているように見えて、実はパターンがあるんです。いくつか例を挙げると、
2.結果から逆算をして、最も利益を得た者を真犯人として名指しする手法
3.最終的な勝者が、全てをコントロールしていたとする手法
……などです。
人が陰謀論に惹かれるのは――逆説的ではありますが――その単純明快さに屈しがたい魅力があるからでしょう。複雑なものを理解するためには、多くの努力と忍耐を費やさなければなりません。そんななか、陰謀論は手っ取り早く物事を理解したいという、誰もが持つ人間の心理に付けこむところがあるわけです。
自分の思い通りに歴史を動かせるわけがない
それを見抜くコツは、陰謀論の多くがどのような構造を持っているかを理解しておくことです。特定の個人や組織が全てを仕組んでいる、あるいは、一人の人物の計画通りに歴史が動いていく――というように、陰謀論では陰謀の実行者が全く無謬の存在として描かれる傾向があります。
しかし、自分自身について考えてみれば分かる通り、歴史上の英雄賢者もまた、当時はその時代のうねりの中に生きていた一個の人間でした。そのような一人の人間が全知全能であるかのように、将来を完璧に見通し、自分の思い通りに歴史を動かすことなどできるわけがありません。徳川家康だって争乱の渦中にいるときは、いくつもの選択肢を突きつけられ、迷いながら選んでいたはずです。よって、陰謀実行者の計画に全く破綻がない場合は、まず疑ってかかるべきでしょう。