累計47万部のベストセラーの次は「陰謀論」
――一昨年10月に出版された『応仁の乱』(中公新書)は累計47万部のベストセラーになりました。今回、次の作品である『陰謀の日本中世史』(角川新書)では、日本中世史における「陰謀論」がテーマです。どうしてこのテーマを選んだのでしょうか。
実はこの『陰謀の日本中世史』は、『応仁の乱』と並行する形で進めていたテーマなんです。
本能寺の変には黒幕がいた、関が原の戦いは徳川家康が仕組んだ……。そういった陰謀論は今も昔も、歴史学の研究者がほとんど近寄ろうとしない分野です。
歴史学の世界で陰謀論が相手にされてこなかったことには、いくつかの理由があります。例えば、本能寺の変には黒幕説がたくさん存在する。しかし、本能寺の変が明智光秀の単独犯行ではなく、黒幕や共犯者がいたという説を唱えている人は、学界では1パーセント以下でしょう。それこそほぼ全員が単独犯行だと考えているんですね。
つまり学界の研究者は、黒幕説なんて端から成り立つわけがないという見通しを持っている。あり得ないと分かっているにもかかわらず、陰謀論を批判するためには該当する本を読みこまねばなりません。何ら新しい学問的な成果が得られないことに対して、そのような労力を費やすのは時間の無駄。それが「大人の態度だ」という気持ちを、歴史研究者は多かれ少なかれ持っているんです。
本能寺の変の唯一の謎は、明智光秀の動機
そもそも「本能寺の変」には謎があると言うけれど、歴史学にとって重要なのは、いつ、誰が、どこで、何をしたかです。「天正10年6月2日に明智光秀が本能寺で織田信長を討った」という事実が確定しているのですから、本来、学問的にはそれ以上の議論を必要としていない。
確かに本能寺の変にとっての唯一の謎は、明智光秀の動機でしょう。なぜ彼は謀反を起こしたのか。それは今も分からないままです。
ただ、歴史研究の観点から言えば、光秀の動機はどうでもいい。もし光秀が本能寺の変の後、天下を取って国づくりをしたのであれば、彼の謀反の動機には歴史学的な意味が生じたかもしれません。たとえば「光秀はこれこれこういう政治信念に基づき信長に対して謀反を起こした。だから、全国統一後、このような政治を行ったんだ」といった風に。