しかし、光秀はすぐに豊臣秀吉に討たれてしまうため、その動機が恨みであろうが、権力欲であろうが、将軍足利義昭から命令されたのだろうが、はたまたイエズス会が裏で暗躍していようとも、後世の歴史には何ら影響を与えません。

光秀自身が内面を語った記録を残していない以上、彼の抱えていた「心の闇」など究極的には誰にも分からないし、分かったところで日本の歴史の長い流れには関係ない。それが歴史学の研究者の立場から見た本能寺の変です。

歴史学者として「大人の態度」をとるだけでいいか

ただ、私が今回、それにもかかわらず陰謀論をテーマに本を書いたのは、現代を生きる歴史学者は、果たしてそのような態度をとるだけでいいのだろうか、という問題意識があったからでした。

呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)

歴史学界が陰謀論を相手にしないのは、確かに「大人の態度」と言えばそうかもしれません。しかし、その結果として学界の常識と世間の常識が、大きく乖離してしまっている気がしているんです。

本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。

「江戸時代の商人たちのマナーだった」という偽史

少し前に話題になった「江戸しぐさ」という偽史も同じです。江戸しぐさとは、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など、「江戸時代の商人たちのマナーだった」として、2000年代に広く知られるようになりました。ところが江戸時代に実在していたという歴史的証拠はなく、偽史であることが判明しています。

江戸しぐさが話題になった時も、学界の反応はとても鈍いものでした。飲み会の席で「変なことを言っている人がいるね」と酒の肴にするくらいで、誰も相手にしていなかったのです。「太平洋戦争はコミンテルンの陰謀だ」と主張した田母神論文に対する強い反発とは雲泥の差でした。