しかし、私は、知識の価値そのものが低下したとは思いません。そう考える理由はつぎのようなものです。
新しい情報に接したとき、それにどのような価値を認めるかは、それまで持っていた知識によります。新しい情報に接しても、知識が少なければ、何も感じません。しかし、知識が多い人は、新しい情報から刺激を受けて、大きく発展します。
新しいアイデアを発想するためには、知識が不可欠です。既存の知識と問題意識のぶつかり合いでアイデアは生まれます。その場合、知識が内部メモリにあって、すぐに引き出せるようになっていないかぎり、それを発想に有効に使えません。したがって、アイデアの発想のためには、多くの知識を内部メモリに持っていることが必要です。
疑問を抱く力で、人間はAIより優位に立てる
知識が必要だと考える第2の理由は、質問をする能力を知識が高めるからです。知識があるからこそ、何かを知りたいと思います。そして、質問を発することによって、探求が始まります。知識が乏しい人は、疑問を抱くこともなく、したがって、探求をすることもなく、いつになっても昔からの状態にとどまります。
ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て、「リンゴは落ちるのに、なぜ月は落ちないのか?」と疑問を抱きました。そして、ここから力学法則が導き出されました。創造的な人は、それまで他の人がしなかった問いを発することによって、新しい可能性を開きます。現在のAIがニュートンと同じような疑問を抱くことはないでしょう。ニュートンと同じような疑問を抱けるAIが将来作られる可能性は否定できません。しかし、そうした機械は、簡単には作れないでしょう。
同様のことはさまざまな場面について言えます。例えば、文章の執筆です。すでにAIは、「今日の株式市場の状況について書け」と命令されれば、その要求に応えます。データがあれば、スポーツ観戦記事を書くこともできます。しかし、文章執筆で最も重要なのは、「一体、何について書けばよいのか?」というテーマの設定であり、これは、質問を発する能力と同じことです。AIには、その判断ができるでしょうか?
「AIはすでにレコメンデーションやパーソナルアシスタントができるのだから、文章のテーマ選択など簡単にできる」と考えられるかもしれません。しかし、レコメンデーションやパーソナルアシスタントは、ビッグデータからもたらされるものであり、普通の、ありきたりの考えを基にしています。それで文章を書いても、一般の人の普通の要求に応えることにしかならないでしょう。