通用しなかった「後半で追い込み」
僕は、人生のほとんどを「圧倒的に出遅れた後、後半で爆発的な加速をしてマクる」というパターンで乗り切ってきました。文句なしのスロースターターです。どこかで強烈な過集中(ADHD傾向の人にたまに起きる強烈な集中。コントロール不能な場合が多い)がやってきて、全てをチャラにしてくれる。その繰り返しで生きてきました。
中学も、高校も、入試も、大学も、就職活動も全てこのパターンでした。例えば、1年間で一定のタスクをクリアするのであれば、僕はその半分は間違いなく浪費します。そして、誰もが「あいつはダメだ」と思った頃、強烈に加速してチギる。この繰り返しでした。
一番悪いのは、そのパターンで社会人になるまでは何とかなってしまっていたことです。僕は「出遅れなんていつものこと。どうせ後半になればいつものアレがやってくる」という強い楽観を無意識のうちに持っていました。
しかし、仕事というのはそういうものではありません。特に、巨大なシステムの歯車として機能する事務職においては、そのようなやり方は一切通用しません。安定した出力を常時出し続けることこそが一番大事なのです。突出する必要はありません。安定感こそが最重要です。僕には危機感がまるで足りませんでした。そして1年が経つ頃、僕は誰がどう見ても手遅れになっていました。
僕に仕事を教えようとする人間はおらず、また同情的に振る舞う者もおらず、それでも職場は問題なく回っていました。一度掛け違えたボタンは時間の経過とともに加速度的に悪化し、二度と元に戻ることはありませんでした。
問題を抱えつつギリギリで乗り切る日々
僕は大学生の頃には自分が発達障害であることに気づいていました。通院もしていました。もっと早く発達障害の対策に入ることは可能だったと思います。そして、そうしていればまた違う未来があったのかもしれません。しかし、ある意味運が悪いことに、新卒で就職するまでは結構何とかなってしまったのです。
高校は落第寸前の出席日数で、人間関係はほぼ全てで破綻を繰り返し、そのたびに別の場所に逃げる。定期的に2次障害(発達障害によって2次的に引き起こされる精神の病。うつなどが代表的。僕は躁(そう)うつ“双極性障害”です)が出て躁うつの波を繰り返し、薬物のオーバードーズと自殺未遂を繰り返す。客観的に見れば明らかにダメです。でも、その破綻寸前の生活を僕はギリギリの線で乗り切ってしまいました。