また、中途半端にテストの成績などは良かったため、問題がなかなか表面化しなかったのです。大学時代も薬物とアルコール、自殺未遂などは定期的にやらかしていましたが、「圧倒的に大学が楽しい」という事実が問題にフタをしてしまっていました。また、大学は圧倒的な規模があり、人間関係を次から次へと乗り換えることが可能だったため、さまざまな問題を回避することが可能でした。
「30代なんて僕にはないんだ」
そういった生き方に自分自身が酔っていた節も多いにあります。自己陶酔ですね。これが最悪でした。また、昔から僕は弁が立ったため、直面した大きな問題を口先だけで何とか乗り切ってしまえる能力がありました。そしてわずかではあるものの、僕のそういった性向を承認してくれる人間の確保にも成功してしまっていたのです。
彼らは僕が破滅的に振る舞えば振る舞うほど喜び、承認を与えてくれました。このようにして、僕の反社会性は20代になっても衰えることなく保存されていったのだと思います。
僕は自分に30代があると思ったことがありませんでした。20代も後半にさしかかるまで、30代なんて僕にはない、自分は20代で死ぬ。そういう根拠のない確信を抱いて生きてきました。人生の問題を解決する必要性すら感じていなかったのです。自分自身に大きな問題があることには気づいていました。いつかそれは避けようがなくやってくるだろう、とは思っていました。
でも、その前に死ぬだろうとはもっと強く思っていました。根拠のない楽観と悲観を実に器用に使いこなして現実から逃避していたのです。本当にわれながら器用なことをしていたと思います。
発達障害という人生の問題と真正面から向き合ったのは、実はそれほど古い話ではありません。ほんの数年前の話です。定期的にきちんと医者に通い、服薬を欠かさず、さまざまな生活上の工夫を実践する。他者への共感的な振る舞いを試みる。定型発達者の考え方をエミュレートする。そのような習慣を身につける努力を始めたのは、25歳を超えてからでした。
もっと早く僕が圧倒的に打ちのめされる機会に遭遇していれば、事態はここまで悪化しなかったのかもしれません。でも、気づいたときには全てが手遅れでした。逃げて逃げて逃げて、ついに逃げ切れなくなったとき、やっと人生の問題と向き合ったのが僕です。