柳瀬氏の行動基準を明らかにし、そこから矛盾を突くべし
人間の日常行動には、無意識のうちに基準が作られていく。時々の趣味嗜好の余地が入らない日常の仕事の場合には、なおさら無意識のうちに、自ら一定の基準を作って、それに従って行動をするものだ。合理的な人間であればあるほど、事務処理能力の高い人間であればあるほど、なおさら無意識のうちの基準作りは当然のこととなり、基準の範囲も広く、数も多くなってくる。というのは、自分の行動について基準を作った方が、無駄に悩むことがなく、「やる、やらない、どのようにやるか」を円滑に判断できるからだ。まあ、ベルトコンベアー処理みたいなものだね。
クリエイティブな仕事には向いていないけど、事務系の仕事で、いわゆる「できる人間」というのは必ず、あらゆる事態に対応するための自分基準を持っているものだ。
首相秘書官とは、国家公務員一種試験に合格し、その中でも出世頭の人物で、多くの課題をテキパキと処理していく高度な事務処理能力を持っている。相当合理的な「できる人」でなければ務まらない。政府の内外を問わず、多くの人と面会しなければならない立場で、その際に、この人とは会うべきかどうか、記録はとるべきかどうか、首相に報告すべきかどうかを一々悩んでいては仕事にならない。だから柳瀬氏は一定の基準を持っているはずである。
その基準を明らかにすることが、柳瀬氏への尋問の最大の目的である。「記録は取らない、報告はしない」というのは、秘書として失格だ! なんて批判しても、柳瀬氏がそう言っている以上話が進まない。だからこそ、柳瀬氏が無意識のうちに作り上げた行動基準を、柳瀬氏の行動実態を詳細に確認しながら浮かび上がらせるべきなんだ。
ちなみに、首相官邸に面会記録は残っていない、とも政府は答えているけど、もしそれが本当だったら、日本政府、それも首相官邸ってどれだけいい加減な組織なんだ? 僕が知事、市長のときは、セキュリティの関係から、詳細なスケジュールは事前に知らせなかったけど、その日のスケジュールをこなした後は、全てホームページに掲載しているよ。
面会する・しないの基準、面会記録を取る・取らないの基準、首相に報告する・しないの基準が浮かび上がってくれば、じゃあ今回の件はどうだったんだ? という話に移る。尋問によって浮かび上がった柳瀬氏の行動基準からすれば、加計学園関係者に会うはずがなく、会えば記録はきちんと取っているはずで、首相にも報告しているはずだ、となれば柳瀬氏のそれとは正反対の今回の答弁は「おかしい!」と言えるし、国民も強くそう感じるだろう。
森友学園問題、加計学園問題を通じて、国会での国会議員の尋問力が試されるようになった。しかし尋問のノウハウを持っている国会議員は少ないようだ。
多くの国会議員はいきなり本丸を攻める。そして否定されて終わりというパターンを繰り返す。このパターンから脱するためには、国会議員は、一度尋問技術についてしっかりと学ぶべきだ。
(略)
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.103(5月15日配信)を一部抜粋し、修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【危機管理の授業】柳瀬氏国会招致! 加計学園問題を終わらせるには?》特集です!