その体験とは、96年1月の経営企画の課長時代。東ソー、三井東圧(現・三井化学)と3社で塩化ビニル事業を統合し、大洋塩ビを設立したときだ。塩ビもスチレンと同様に、化学各社が横並びで手がけ、過当競争が続いていた。
交渉は、塩ビに強い東ソーが軸となる。工場は東ソーが三重県、三井東圧は大阪府、電化は千葉県と、地理的に補完関係になるが、どの工場でつくったものを各社で使い、どう物流体制を築くかとなると、「少しでも自社の主張を通さなければ」となりやすい。
ところが、主導権を持つ東ソーの交渉相手は違った。大所高所に立ち、譲るところは譲る。本社へ戻れば叱られていたかもしれないが、そんなことは口にもしない。要は「時代の変化に応じて統合をまとめなくてはならない」と、思いを定めていたのだろう。出資比率も、電化26%、他の2社が37%ずつと、実力差より接近した。
その振る舞いを見続けて、「なるほど、主導権を持つ側は、こういうふうに折り合うのか」と学んだ。冒頭のスチレンの合弁交渉は、そのお陰でうまく着地した。
成長戦略の1つは、健康分野への攻め
99年春、東洋スチレンの社長に上司の専務がなると、自分も取締役管理部長に出向した。1年9カ月いて、寄り合い所帯の融和に努め、合弁を軌道に乗せる。
「聖人不凝滯於物、而能與世推移」(聖人は物に凝滯せず、能く世と推移す)――誰もが師と仰ぐ優れた人は、物事にこだわり続けず、世の変化に応じて自らも変わっていく、との意味だ。中国・戦国時代の『漁夫辭』にある言葉で、固定観念にとらわれることを戒め、変化への対応を説く。日本的横並び社会に決別し、時代の変化に応じて事業の切り離しを進めた吉高流は、この教えに通じる。
四十代を過ごした経営企画時代には、前向きな投資も立案した。事業の見直しで出た余裕を振り向けたのではなく、後ろ向きの策ばかりでは社員たちも夢を持てないから、苦しいなかでもやった。いま慢性の関節リウマチに苦しむ人に提供している液状治療剤「高分子ヒアルロン酸製剤」も、その1つ。医薬部門が開発に苦労していたので後押しし、2000年に効能が認められて発売した。