成長した新しい自分でもう1度チャレンジしたい
シーズン最後の練習を終えた12月3日の午後。例年行う解団式で、山田のレッズ復帰が発表された。挨拶した山田は感極まって泣いていた。4日後にクラブを通じて発表されたリリースには、山田の偽らざる思いが綴られていた。
「この3年間は僕にとってかけがえのない時間でした。そんな時間を過ごした仲間、サポーターとの別れは、僕が決断したことではありますが本当に辛いです。それでも、湘南で成長した新しい自分でもう1度浦和でチャレンジしたい、湘南スタイルで輝きたい。わがままなのはわかっています。でも行きたいんです、行ってきます」
十代から将来を嘱望されながら大けがを繰り返した不運があり、山田自身の努力や準備不足もあっていつしか試合に出られなくなった。おそらくベルマーレに来たときには1年で再生して、と思っていたはずだけれども、幸か不幸か3年間も在籍することになった。
レッズから戻って来いと乞われ、山田自身も再チャレンジしたいと望んだことは、復帰が決まった後では美談のように聞こえるけれども、実際にはどちらにいくかわからなかったし、未来のことは当然、誰にもわからない。
「いまこのタイミングで戻らなければ後悔する」
それでも、解団式で「いまこのタイミングで戻らなければ後悔する」と口にした山田の言葉に嘘はないし、山田の表情を少しは昔の、僕がよく知っていたころのそれに戻せたかなと思えることはやはりうれしい。
ただ、解団式では僕も涙腺を緩ませたものの、山田のレッズ復帰に対してはいっさい言及しなかった。ベルマーレの監督という立場で見れば戦力を失ったことになるし、僕が何かを言えば、復帰か完全移籍での残留かで逡巡していた山田の背中を最後に押したと映るかもしれないからだ。
敵味方として顔を合わせる新シーズンの開幕を前にして、言えることがあるとすれば山田の決断を応援したい、3年という時間を一緒に戦った仲間たちも誰一人として、山田の選択に不平不満を唱えていえない、ということだ。そして、勝負はこれからだともエールも送りたい。
勝利への責任をすべて背負ってプレーしたときに、変わったと言われるのか。やっぱりレッズに戻るとダメなのかと言われるのか。成長したとレッズに関わるすべての人たちから認められるように、自信を抱きながら、心身両面でたくましくプレーしてほしいと思っている。
湘南ベルマーレ監督。1969年1月16日、京都市生まれ。京都府立洛北高校、早稲田大学を経て、日立製作所本社サッカー部(のちの柏レイソル)、浦和レッズ、ヴィッセル神戸に所属し、Jリーグ通算70試合に出場。2012年に湘南ベルマーレの監督に就任。チームを3度のJ1昇格、2度のJ2優勝に導き、就任7季目となる18年はJ1での戦いに挑む。著書に『育成主義』『指揮官の流儀』がある。