山田の価値観に対し、何度も「それは違う」と言った

シーズンの終盤になって調子が上向いてきた流れと、ベルマーレがJ2へ降格したこととが相まって、山田は2度目の延長を決めた。

プロになって9年目の山田にとって、J2の舞台でプレーするのは初めてだった。開幕から先発としてピッチへ送り込んだが、前半戦は後半の途中で、それも早い時間帯でベンチへ下げることが多かった。試合の流れのなかで、いわゆる消えてしまう時間帯が少なくなかったからだ。

曺貴裁『育成主義』(カンゼン)

15年シーズンから山田と向き合ってきた日々を振り返れば、正直、予想していたよりもかなり長い時間がかかったと思う。治療法と言うと大げさかもしれないけれども、サッカーを楽しむマインドを取り戻させるために施したアプローチは数え切れなかったと言っていい。

僕から言葉を投げかけることもあれば、あえて無視することもあった。いろいろな映像を見せたこともあれば、たとえ試合で使っても本来の攻撃的MFやシャドーとは違うポジションを命じたこともあった。

当時の山田が思い描いていた理想のサッカーを海外のクラブにたとえれば、FCバルセロナかアーセナルとなるだろうか。ボールをはたきたいからここにパスを出せという山田の価値観に対して、何度「それは違う」と言ったことか。

ゴールを奪うことよりも自分が望むプレーが優先され、結果としてゴールが取れればいいという思考回路を、さまざまな方面からアプローチしてあらためさせた。現在のボルシア・ドルトムントやリバプールのように、ゴールへ向かう姿勢が何よりも大事なんだと。ゴールへ向かう選手がチームにとって大事なんだと。

「信じて、やらせて、待つ」の精神が何よりも必要

治療に時間はかかっても、それでも僕は絶対にあきらめなかった。山田に限らず、そのシーズンに預かったすべての選手に対して「ダメだ、こいつは」と思ったことは一度もない。ジャンルに関わらず、スポーツの指導者には「信じて、やらせて、待つ」の精神が何よりも必要だからだ。

とにかく相手を信じて、まずはやらせてみて、結果がどうであれ待ってあげること。根気がなければ、指導者など務まるはずがない。チームのなかには「直輝ってミスをしても、監督から重用されるよね」と思う選手がいても、しかたがないことだと僕は考えていた。

あるいは「直輝と同じくらいチャンスをもらえれば、オレもやれたのに」と思う選手もいたかもしれない。僕自身、誰に対しても誠意と公平さを貫いた自信は正直持ってない。僕の選択だし、最終的には監督である僕が責任を持つわけだから、誰に何を言われる筋合いもないとある意味で開き直ってもいた。

一方ではこう考えてもいた。山田が変わっていくことは、他の選手たちにとって最終的にはプラスになると。実際にそう言ったかどうかは別にして、同じくレッズから期限付き移籍中で、山田をよく知るDF岡本拓也が「昔に比べると、直輝君はすごく変わった」と言えば、周囲にはるかに影響を及ぼすからだ。