明治時代以降になると「教育ママ」が誕生
江戸中期になると、農村でも教育熱は高まります。農業について記された「農書」が広く出回るようになります。効率的な農法を勉強すれば、収穫も増える。蚕や煙草など商品作物を育てれば現金収入が得られる。努力による格差が生まれはじめました。
また、農村でも積極的に商取引が行われるようになり、なかには高利貸しを行ったりするような、豪農と呼ばれる農家が増えていった。すると近辺の農家とのネットワークが生まれたのです。村落の豪農の間で婚姻が交わされるようになり、通婚圏が広がりました。富裕な階層では子供も増えていくので、婿や嫁の面倒も多くなります。「あの豪農の家に婿に行くなら」「嫁に行くなら」最低限の知識は必要だ――と、教育熱は高まった。主に文化・文政期以降(1800年代前半)の話です。当然、豪農になれば取引のため数字に強くないといけませんし、書物を読む教養も必要になりました。
ただ、上昇志向に支えられた、競争社会はまだごく一部の人のものです。
しかし、明治に入り、都市化が進むと、ホワイトカラーから都市の新興住宅に暮らすようになり、核家族化が進みました。前述したように、夫が外に働きに行くようになり、子供の教育の担い手は専業主婦となった母親1人に集中しました。また、勉強すれば出世できる社会になるとともに、良き妻・母たれという「良妻賢母」教育が広まり、都市に女学校や高等女学校が開校しました。こうして、エリートを育てる「教育ママ」が生まれたのです。
しかしながら、この30年ほどで、日本に大きな変化が起こっています。共働き世帯が当たり前になり、90年代初頭には専業主婦世帯の数を超えました。少子化が進み、性別役割分業をする必要性も減ってきました。もはや女性だけが子育て・教育にかかわる時代ではありません。さらに、経済が発展したことで、エリートを目指さなくても食べていける社会となりました。「教育ママ」が滅びたわけではありませんが、多様な生き方を選ぶことが可能な社会になったといえるでしょう。
和光大学 現代人間学部 心理教育学科 教授
1948年、東京都生まれ。75年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。湘北短期大学、埼玉県立大学教授などを歴任し、現職。2008年『子宝と子返し-近世農村の家族生活と子育て』で第6回角川財団学芸賞受賞。