日本では、従来、こうした対米同盟の「軸足」を固める政策志向は、岸信介内閣下の日米安保改訂から安倍晋三内閣下の安保法制策定に至るまで、それが帯びる軍事上の色彩が濃厚である程、特に昔日に「革新・左派」と呼ばれた層、現在では自ら「リベラル」と称する層の批判を招いていた。

彼らは、東アジアの国際環境の中では、対米同盟の「実質化」を妨げる政策対応が、現在では中国の利益に寄与するものとして働くことを適切に認識していない。しかも、彼らは、歴代自民党内閣の政権運営の「強権性」を批判してきた割には、現在では特に中国の政治風土における「強権性」への批判を鈍らせるのみならず、それに宥和的な姿勢を示している。

加えて、日本の「右派・ナショナリスト」層は、第二次世界大戦における対米敗北の記憶と戦後日米関係における対米従属の意識とに呪縛された結果、対米同盟の「実質化」を図る政策対応には、総じて冷淡なまなざしを投げ掛けてきた。TPP(環太平洋経済連携協定)を「亡国」と評価するが如き議論は、その一例である。

このように、国内世論の分裂のはざまで、「西欧」文明諸国との提携という政策路線の持つ「文明上の意義」が適切に理解されてこなかったのは、日本の国際政治上の「弱さ」を招く一因であったといえるであろう。

「リベラルな国際秩序」の孤塁を守る日本

もっとも、目下、ドナルド・J・トランプ(米国大統領)の登場に象徴されるように、「西欧」文明圏域の内側では、自由、民主主義、人権、法の支配に並ぶ「寛容」の信条に動揺が走っている。移民流入とテロリズムの頻発に揺れた「西欧」文明諸国、特に英仏独、オーストリア、オランダ各国における「反動」政治勢力の台頭は、「ポピュリズム」の様相を帯びながら、その傾向に拍車を掛けている。

G・ジョン・アイケンベリー(国際政治学者)は、『フォーリン・アフェアーズ』(2017年5月号)に寄せた論稿の中で、「リベラルな国際秩序を存続させようとするならば、それを支持する世界中の指導者達と有権者達が段階を上げる必要がある」と書き、安倍晋三(内閣総理大臣)とアンゲラ・メルケル(ドイツ首相)に「リベラルな国際秩序」の守護者としての役割を期待したけれども、安倍はともかく、メルケルは去る九月のドイツ連邦議会選挙を経て政治苦境の最中にある。今や、昔日には「政治は三流」と揶揄された日本を仕切る安倍だけが、「リベラルな国際秩序」の孤塁を守っている状態なのである。