なぜ西郷隆盛は明治維新を実現できたのか
サーバント・リーダーの具体的な行動を考えてみましょう。プロジェクトリーダーであればメンバーそれぞれが力を発揮できるように役割分担を明確にして、必要なリソースを手配する。あるいはPTAの役員であれば、学校関係者、保護者、はたまた地域住民まで、さまざまな利害を持つ人の間を調整して、物事をスムーズに進めることです。このような活動は従来リーダーシップとは呼ばれませんでしたが、サーバント・リーダーシップの下では、これこそがリーダーとしての活動と定義されます。「力強いリーダー」に苦手意識がある人でも、これなら違和感なく取り組めるのではないでしょうか。
「サーバント・リーダーシップ」と名付けたのは米国人のロバート・K・グリーンリーフ氏です。このコンセプト自体は古くからあり、源流は古代中国の思想家、老子にあるとも言われます。具体的なイメージで言うと、来年のNHK大河ドラマ『西郷どん』の主人公、西郷隆盛を思い浮かべてみるといいかもしれません。
西郷は「敬天愛人(けいてんあいじん):天を敬い人を愛する」をモットーに、「誰かをサポートしたい」という強い思いを持ち続けていました。ひょっとしたら、西郷にとっては「尊皇攘夷」のような大義名分以上に、世の中の多くの志士を後押ししたいとい思いが原動力だったかもしれないと、筆者は想像します。そして、そのような西郷に引かれて多くのフォロワーが集まり、彼らに担がれた西郷は偉大なリーダーとして、倒幕という大きな成果を残したのです。
すごく「いい人」はすごく「いいリーダー」か?
もっとも、サーバント・リーダーシップ「だけ」に頼ると、そこにはリスクが存在します。改めてここで、「リーダーシップは試着できる」とのコンセプトのもう一つの側面を見直してみましょう。それは、その時々の状況に合わせたスタイルがある、ということです。
服の試着をするときにも、着るときの状況を考えるべきです。ビジネスだったらスーツを選ぶし、カジュアルだって、誰とどんな状況なのかを想像しながら服を選びます。リーダーシップも同じで、その時の状況に合わせてスタイルを変えていくべきなのです。逆に言えば、どれだけ高い服であっても、その場の状況に合わなければちぐはぐで成果が出ません。これはサーバント・リーダーシップにも当てはまります。たとえどれだけ優れたコンセプトだとしても、それだけしか選択肢がないと困ったことが起こります。
実際、筆者が体験したことを紹介しましょう。ある会社のコンサルティングの仕事をしたとき、現場の社員からウケが悪いマネージャーがいたのです。「あの人の下では仕事がしにくい」、「方針がぶれる」、「いつまでたっても決断してくれない」などなど。ところが、ご本人にお会いしてみると、ものすごく「いい人」だったのです。しかも勉強家でサーバント・リーダーシップという言葉も知っていて、「私も部下をサポートしたいといつも思っているんですよ」とニコニコしていました。
もちろん、本当にそのマネージャーがサーバント・リーダーシップを正しく実践していたかどうかは分かりません。しかし、ここで言いたいのは、「誰かをサポートする」という考え方には、上司としての機能を果たしていないと見えるリスクをはらんでいるということです。
考えてみれば当たり前ですが、ビジネスでは成果が求められます。上司はサポート役だけではダメで、課題を解決するためにリスクをとって意思決定したり、それを明確な方針として固めて上層部から承認を取り付けたり、一度言ったことにコミットして時には部下にやらせきることも必要です。
それなのに、「私はサポートするだけですから」というスタンスで臨んだのでは、先ほどの部下のセリフのように、「この人の下では仕事をしたくない」と思われてしまう、言葉を悪く言えば「ナメられる」のも当然です。なお、念のためですが、これはグリーンリーフ氏の提唱したサーバント・リーダーシップへの批判ではありません。中途半端にまねをすると、状況とフィットしないため失敗するリスクがあることを示す事例です。