米国の消費者は「ブランドを意識しない」

【小池】長年米国でビジネスをして感じたのは、米国人はあまり「ブランド」にこだわらないことです。よい商品やサービスであれば支持してくれる。米国で、ブラザーがタイプライターやファクスを発売しても受け入れてくれました。日本だと「どうしてブラザーがファクスなんか売るんだ。ミシンとか編み機だろう」と言われた時代です。今でもそうですが、人種が多様化しているので、逆にあまりブランドロイヤリティは高くない。「コメダ」という名前も、米国の消費者はこだわらないと思いますね。

【臼井】そういう意味では、フェアな国ですね。

コメダ珈琲店の臼井興胤社長

【小池】ブラザーの海外展開で、最もうまくいったのも米国です。現在の地域別売り上げ構成比率は、米州(北米・中南米・南米)が31.6%、欧州が25.1%、アジア他(オセアニア含む)が24.6%、日本は18.6%です。今でも「ブラザーはミシンの会社」と思われる方も多いのですが、海外を含めてミシン関連事業は、全売上高の12%弱になっています。1980年代に米国でタイプライターが支持されて以来、プリンター事業などを中心に海外の事業展開が進み、国内中心の会社から脱皮することができました。

【臼井】企業の永続性を考えると、そうした変身力は見習いたいものです。私が最初にブラザーを意識したのも、中学時代に買ってもらったタイプライターでした。今でも覚えていますが、フタを開けると鮮やかなオレンジ色の商品です。

【小池】ほう、そうですか。あの時代ですね。

「マスター」と呼ばれるのがうれしい

――2人とも、現場を重視する姿勢は共通だと感じます。

【小池】ブラザーは毎年「社長賞」を設けており、私は出張日程をやりくりして、社長賞を受賞した海外の事業所に直接手渡しに行きます。一般には、受賞した職場の代表者を本社に呼んで表彰するのでしょうが、そのやり方では、各職場の取り組み実態や本社への不満も見えてこない。連結で約3万7000人の従業員がいますから、社長賞手渡しの目的は、ふだん会う機会がない職場の従業員の声を聞くことです。

【臼井】そのやり方なら、現場の従業員と本社との距離感も縮まりますね。私は就任以来、週に1度、店舗でコーヒーを淹れています。コメダは毎日来られるお客さんへの居心地を重視しています。ドリンクやパンメニューなどを提供しながら、究極の売り物は「空気感」なのです。店舗で働くと、数字やデータではわからない空気感が体感できます。4年続けていると、私を「マスター」と呼んでくださるお客さんもいる。そう言われると、ゾクゾクするほどうれしい。定点観測しているので、もし本部社員が、現場の実情に合わないプロモーション企画を立てても、「何だこの企画は」と言えます。

生まれも育ちも、社長としての経歴も対照的な2人だが、共通する部分も目立った。その1つが現場主義で、もう1つが海外駐在経験だ。次回は「海外経験と出世」の話も含めて、2人の意識を深掘りしてみよう。(後編に続く)
小池利和(こいけ・としかず)
ブラザー工業 社長。1955年愛知県一宮市生まれ。実家は小池毛織(当時)の一族。早稲田大学政治経済学部卒業後、79年にブラザー工業に入社。米国駐在を希望して自ら手を挙げる。82年ブラザーインターナショナル(U.S.A)に出向し、渡米(その後、滞米生活は23年半に及ぶ)。主力がタイプライターから情報機器に移るなか、米州プリンティング事業の拡大に尽力した。44歳で同社社長に就任。2005年に帰国し、本社常務。07年にブラザー工業社長に就任。米国時代からの愛称は「テリー」。社内ブログ「テリーの徒然日記」を発信し続け、連載1000回を突破。休日はブログのネタづくりを兼ねて社寺探訪や野球観戦などを行う。

臼井興胤(うすい・おきたね)
コメダ珈琲店 社長。1958年愛媛県松山市生まれ。小学校を転々とし、主に東京育ち。都立富士高校から防衛大学に進学。中退後に一橋大学に入学して同校卒業後、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でMBA取得。本社企画部勤務などを経て、ゲーム会社のセガに転職。以後ベンチャーキャピタル、ナイキ、日本マクドナルドCOO(最高執行責任者)を経て、セガに復帰して社長に就任する。グルーポン東アジア統括副社長を歴任した後、2013年7月にコメダ社長に就任。休日の気分転換は早朝に大型バイクで疾走することと渓流釣り。
(司会進行・構成=高井尚之(経済ジャーナリスト) 撮影=上野英和)
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