しかし、本人たちの意識は違っていたと荒木は振り返る。
「(甲子園で)優勝候補って言われたこともありましたけど、みんな『なんで?』って感じでしたよ。自分たちを知っているというか、新聞とかで騒がれても『違うだろう』と冷静に見ていた」
個人的にも荒木は、同世代の飛び抜けた力のある選手とは差を感じていたという。
「例えば、斎藤雅樹と試合をしているんですよ。彼はとんでもないボールを投げていたんです。『こういう選手がプロに行くんだろう、俺たちじゃない』って話をしていたぐらい」
荒木と同じ年の斎藤は、82年のドラフトで読売ジャイアンツから1位指名される。埼玉県川口市立高校の斎藤は甲子園には出場していない。
荒木は甲子園でも、のちにプロ野球に入る選手と対戦している。
高校2年生の夏、3回戦で兵庫県代表、優勝候補と目されていた報徳学園と当たっている。報徳の投手で四番には、のちに近鉄バファローズからドラフト1位指名される金村義明がいた。
「ピッチャーとしてはそれほどでもなかったんですが、バッターとしてはスイングも速いし、すげぇなっていうのがありました」
早稲田実業は報徳に延長戦で敗れた。
また、3年生の夏は準々決勝で徳島県代表の池田高校と対戦した。
「畠山(準)はすごかった。当時はスピードガンはそれほど普及していなかった。後から彼に聞いたら148キロ出ていたって言うんです。昔のスピードガンって、測定方法のせいなのか、今よりも速度が出にくかった。今だったら感覚的に150を軽く超えている感じ。もうバケモノですよ」
畠山はこの年のドラフトで南海ホークスから1位指名されている。
この試合、荒木は7回まで投げて、被安打17、自責点9と散々な出来だった。2対14で高校生として最後の甲子園を終えた。甲子園での最高成績は、高校1年夏の準優勝だった。
球団オーナーが直々に説得に乗り出す
高校卒業後、荒木は早稲田大学に進学してあくまでもアマチュアとして野球を続けるつもりだった。しかし、この甲子園のスターをプロ野球球団は放っておかなかった。
11月25日に行われたドラフト会議で、ヤクルトスワローズと読売ジャイアンツの2球団が荒木を指名。くじ引きの結果、スワローズが交渉権を獲得した。
「自分をそれだけ評価してくれたんだという嬉しさはありました。ただ、行く気はまったくない。本当にそのときは0パーセントでした。100パーセント大学に行きたかった。ぼくがプロに行ったとしても、通用しない。2~3年で放り出されるだろうと思っていました」
ドラフト会議後、やはり荒木はプロ入りを拒否。スワローズのオーナー、松園尚巳が荒木の説得に乗り出した。
「オーナーが来るっていうから、立ち会わなきゃいけない。会ってみるともう全然すごいんですよ。ああ、トップになる人っていうのは全く違うんだなと思いました」