初期を知る吉本興業九州エリアマネージャー、中島真一さん(51)は「地元民放ではアイドル並みの大人気でしたね」と振り返る。当時、東京のキー局ではビッグスリー(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)に続き、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンが台頭。一方、地方民放ではキー局に依存しない番組制作を目指す風潮が強まる中、身近なお笑い芸人へのニーズが高まっていたという。「芸人たちはネタを作る暇もないほど仕事に追われた。恵まれ過ぎたかも」
しかし、情勢は変わった。90年代に入ると「タモリのボキャブラ天国」「進め!電波少年」「めちゃ×2イケてるッ」などお笑い芸人“量産”の時代へ突入し、2000年以降には「エンタの神様」「お笑いオンエアバトル」などのネタ見せ番組が大ブレーク。芸風が多様化する中、腕を磨く無名の芸人に感情移入して応援するファンも徐々に増えた。
こうした変化に呼応し、福岡吉本は99年、JR博多駅前の商業ビル内に常設の「吉本111劇場」(のちに『吉本ゴールデン劇場』に改称)を開設。若手芸人育成の場として運営し始めた。しかし、賃料高騰などの事情から常設劇場の維持が困難になり、04年に撤退。現在は天神ビブレ、イムズ、博多リバレインなどの貸しホールで若手芸人らの定期イベントやライブを催している。
中島さんによると、札幌や名古屋も含む吉本の地方拠点のうち、所属芸人が最も多いのは福岡。さらに賃貸とはいえ複数の劇場を活動拠点とする地方事務所は異例という。なぜ福岡に力を注ぐのか。
「吉本新喜劇がある大阪の劇場は昔から、福岡の団体客が多かった。博多どんたくや博多祇園山笠など祭りも盛んだし、祭り好きも多い。芸人を育てる土壌がある。それに、福岡市は女性の人口が多い。市場としてぴったりなんです」
起業家に通じる職業観
では今後、福岡吉本はどんな歴史を刻んでいくのか。今春、天神のホールであった「福岡よしもと・若手発掘オーディション」でヒントを探った。九州内外の18~25歳の素人芸人8組12人が、漫才や漫談、一発ギャグ、コント、果ては「絶対音感披露」……と次々にパフォーマンスを披露。滑りまくっても最後まで折れない心で挑戦した。