デザインを「束ねる」とは
「魂動デザインの中で、固定した部分とは何か?」という筆者の問いに対して、前田常務は「ブランドフェースと全体のフォルムに共通感を持たせることを心がけた」と話す。ここで言う「フェース」とはまさにクルマの顔のデザインである。フェースについては一定の造形を共通とし、クルマ全体のフォルムに関しては雰囲気がブランドとして統一されるデザインを求めたという。
マツダは第6世代を通して「ブランド価値経営」を大きな柱としている。今までのマツダにもブランドという意識が無かったわけではないと断りつつも、それを束ねて行くという意識が欠けていたと前田常務は語る。つまり、個別の車種で個別の個性を出していくことを優先していたということだ。
「束ねる」という作業は、まずはブランド全体の中で、車種ごとの戦略的ポジションを決め、それがブランド表現の中でどんな役割を定義するのかを定義するところから始めた。全体のブランドが進化する中で、このクルマはこういう部分を引っ張っていくという役割を与えたのである。そうでなければ、どのクルマもただ類似のデザインになるだけで全体を束ねていかれない。
ただし、具体的な造形そのものを決めて縛ってしまえば不自由になる。しかし全てを自由にしてしまえばブランド価値が表現できない。さらに前回の記事で説明したような、インダストリアルデザインにおける「人間中心」の機能デザインもまた筋を通さねばならない(参考:マツダ車はなぜ「みな同じ」に見えるのか http://president.jp/articles/-/22928)。
そうした全ての要素に目配りしつつ、出たとこ勝負ではなく、ひとつひとつ丁寧に考え、論理的にデザインを組み立てて行った。
クルマっていうのは生き物だ
さて、マツダの復活を賭けた新世代商品群のデザインモチーフをどうするか? まずはデザインの方向性を決めるキーワードを探し出さなくてはならない。前田常務は、日本人にとって、そしてマツダにとってのクルマとは何かを考え続けたという。
古来日本の考え方として、道具には命が宿っているという考え方がある。クルマに命があると考えることは極めて日本的でもある。命の象徴は「鼓動(heartbeat)」である。しかしこれだと何か深さが足りない。
「できたクルマだけで考えると『鼓動』なんですが、そこに作る側のもっと深い哲学を込めたかったんです。だから『魂動』だと。」。