ドキュメンタリーのタイトルにある「うったづぞ」というのは気仙弁で、「さぁやるべ」という意味だ。長男の真一郎さんはこの言葉が「鶴亀の合言葉」だと語り、大将が締める前掛けにもその言葉が書き記されている。僕が何より気になったのは、まさにその「うったづぞ」という言葉についてだ。

番組の中で、かつて陸前高田には何軒かすし屋があったことが明かされる。しかし、営業を再開したのは「鶴亀鮨」だけだ。そこにさまざまな事情があり、さまざまな決断があったのだろう。では、どうして大将は「うったづぞ」と一念発起して店を再開させることができたのだろう?

その思いは、実際に店を訪れて一層強くなった。お客さんが増えて忙しくなる時間帯に、一人客の僕を退屈させないようにとの気遣いからだろう、大将は冊子を手渡してくれた。それは、大将の語った震災の記憶を、「鶴亀鮨」に滞在した若者が書き起こしたものだ。そこには避難所生活のことも書かれていた。

あとは三日目になってからは、オラはどこも痛ぐもかゆぐもねぇから、どっかなんか手伝いますからって言って、なんか係の人たちがいだから、行ったんだでば。

そしたら、食べ物のどごさ行ってけろって言うんで、ホントのこと言うと、もう食べ物やるの嫌だなって思ってたんだけども、何でかんで、食べ物のどごさ行ってけろって言うんで「はいわかりました」って行ったんだ。

ここに出てくる「もう食べ物やるの嫌だな」という率直な言葉にハッとさせられる。「なぜそんなふうに思っていたんですか」と尋ねると、大将は「ほんとうに一流の腕があればね、はやるはずなんだけど、こっちはごはんの上に魚をのっければすしだと思ってやってるからね」と言って笑う。

かつて陸前高田に存在したすし屋が閉店したのは、震災だけが理由ではなかった。多い時期には6軒のすし屋があったけれど、震災が起きる前に閉店してしまった店もある。陸前高田に限らず、地方の小さな町で営業を続ける店は同じ状況に立たされているはずだ。もう店を閉めてしまったほうがいいんじゃないか――。そう思いながらも、自分が暮らしてきた町で、自分が働いてきた店で、生きていくしかないんだと自分を奮い立たせる。番組のタイトルにもなった「うったづぞ」という言葉には、そんな思いが込められている。

陸前高田から自分のアパートに戻り、もう一度『NNNドキュメント』を観返した。番組では、今年の春にオープンしたばかりのショッピングモールを訪れる大将の姿も放送されている。新たに借金をしてまで店を出すべきか、大将はまだ決めあぐねているようだった。「最初は賑わうと思うんだけども、3年後、5年後、10年後の話だから。まだまだ先の方が、本当に(不安)。最初だげ喜んででも後々だがらね」

番組は終わっても、大将の人生は続いてゆく。そんな当たり前のことに、陸前高田から帰ってきてようやく思いを巡らせる。

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