領土返還の対価は「金融」と「科学技術」

それでは、ロシアは北方領土返還の対価として、日本に何を求めるのでしょうか。それは恐らく「金融」と「科学技術」です。この2つが提供できる国としてはアメリカやドイツが挙げられますが、現在の関係性から考えると難しい。日本しか選択肢はないのです。

プーチンは安倍晋三首相にかなりの信頼を置いています。両者には歴史的関係もあるからです。安倍首相の父・安倍晋太郎は外務大臣として、ソ連との10年ぶりとなる交渉再開を成し遂げ、91年にはミハイル・ゴルバチョフ大統領の来日を実現させた実績があります。また祖父の岸信介は、56年の日ソ共同宣言を締結した鳩山一郎政権で、自民党幹事長を務めています。

ただし日ロ関係では、中国の動きにも注意が必要です。ロシアと中国は戦略的パートナーであり、現状では日ロより日中のほうが親密です。中国は日ロの接近を警戒しており、14年には中国首脳が「北方領土をロシア領と認める代わりに、尖閣諸島を中国領と認めてほしい」と提案しています。毛沢東政権での中国は、中ソ対立の影響で「北方領土は日本領」としていました。この提案をプーチンは「北方領土は日ロの二国間の問題」と断っています。

ロシアはパートナーである中国の台頭を警戒しています。いまロシアが恐れているのは、シベリアや極東のエネルギー資源を中国に取られることです。特にプーチンは、東シベリアのエネルギー利権を中国に独占されることに危機感を抱いています。

また、中国を警戒しているのはアメリカも同じです。そこで日本に期待されるのは、中国の巨大化を避けるための、カウンターとしての役割です。立場上、日本は対ロ制裁に協力していますが、日ロ関係が緊密になることは、世界のパワーバランスを考えるうえで悪くないはず。ゆえにアメリカも、支持はしないまでも理解はできる、というスタンスを取ると予想されます。

ロシアからのボールはすでに投げられています。歩み寄る姿勢を見せるプーチンと日本は、これからどのような関係を築くのか。長年停滞したままの北方領土問題が解決に向けて動き出すとすれば、いましかありません。

※モスクワ大学のアレクサンドル・ドゥーギン教授は、プーチン氏の思想的背景に、ロシア正教の分派「古儀式派」があると指摘している。古儀式派は、一部が日本に移住するなど東方への憧れが非常に強い。

法政大学 法学部国際政治学科 教授 下斗米伸夫(しもとまい・のぶお)
1948年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。著書に『アジア冷戦史』(中公新書)、『プーチンはアジアをめざす』(NHK出版新書)など。
 
(構成=辻本 力)
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