あまりの厳しさ、無茶ぶりに耐えきれずに多くの弟子がやめていきました。1日も持たなかった人間もいます。師匠に「バカヤロー!」と怒鳴られると、プライドが傷つく。いま直門の弟子が20数人いますが、その5倍近く、100人くらいやめていったでしょう。
でも、「俺を快適にしろ」といいつつ、弟子を見ているわけです。俺を喜ばすことができるセンスのあるヤツは伸びていく、落語家として可能性があると。そうして師匠を快適にすると、いろいろなことを教えてくれます。タクシーのなかで「落語をやってみろ」といわれて、批評してもらえる。また、「こうしたほうがいい」「こんな本を読め」というアドバイスももらえるのです。
いまだからいえることですが、「人間は無茶ぶりでしか進歩しない」というのが私の持論です。サラリーマンも同じではないでしょうか。特に20代の若手は、先輩や上司から厳しく指導されます。営業なら、到底ムリと思えるような売り上げノルマを課せられることもある。私もサラリーマン時代にそういう経験を数多くしました。落語の徒弟制度と会社組織を同列には論じられませんが、私は先輩や上司からの無茶ぶりは積極的に受けるべきだと思います。もちろん、パワハラなど法に触れるような悪質なものは論外ですよ。
パワハラとの違いは笑いのネタにできるか
結局、無茶ぶりへの対処は主体性をどこに置くかがポイントだと思います。師匠は晩年、二つ目への昇進基準に「歌舞音曲」を追加しました。落語だけではなく、歌と踊りが新たに課せられ、弟子にすれば大変な負担です。最初の頃は、師匠から「歌を3曲覚えろ」といわれても、2曲しか覚えられないような状態でした。バイトもあるし、練習時間がなかなかとれないからです。
しかし、気持ちを切り換えて、倍やることにしました。「3曲覚えろ」といわれたら、6曲覚える。昇進基準にないタップダンスを身につけたりもしました。そうすることで主体的になれる。つまり、主導権が握れます。
上司に「売り上げが低い、あと100万円増やせ」といわれたとします。そこで200万円アップしたら、上司より優位に立てるわけです。「100社回ってこい」といわれたら、150社回る。私は講演で「無茶ぶりに対しては、テニスでいうリターンエースを狙え」とよく話します。相手のサーブを受けられないようなところに打ち返す。そうすれば主導権を握れます。