オーガニック野菜を1400万食調達

【飯島】それで有機野菜の調達はできそうなのですか?

【服部】厳密には義務ではないのですが、IOCの方針ですからね。新鮮な有機野菜1400万食分を用意しなければなりません。あと4年です。

【飯島】いやあ、勉強になります。さすが服部先生。

【服部】オリンピックは、開催国の国民が食について見直す機会でもあるのです。実は、レタスは前の東京五輪のときに広まったものなんです。それまで日本人が生で食べていた野菜はキャベツとキュウリとトマトだけだったのですよ。

【飯島】そういえば私も大学に入るまでレタスを知らなかった。今では地元で大きな会社を経営している友人が学生時代に私の下宿に遊びにきたときに、手でちぎったレタスのサラダとカレーライスを出したことがある。彼が長野に帰っておふくろさんに「飯島のところはキャベツを包丁で切らないんだ。包丁がないんだよ」と報告したというのが笑い話になっている。当時はレタスとキャベツの区別がつく人が少なかったんだな。

【服部】(笑)。

【飯島】飯島はかわいそうだな……東京で包丁1つない生活なんて……って心配されるのです(笑)。レタスはデリケートな野菜で海外から輸入はできないから、外国人が集まった前の東京五輪開催時に日本でレタス産地が増えたのです。長野県の川上村なんて、今年の確定申告だと一世帯の平均年収が4000万円超です。

【服部】僕が初めてサラダを食べたのは34年前に六本木にサラダバーができて、珍しいから行ってみたのが最初です。そうしたら、野菜がたくさん並んでいて、ドレッシングが置いてあって、好きなものをかけて食べていいと。「こんなただ切っただけのものをそのまま出して商売になるのかな」と思ったことを覚えています。まだ畑に肥やしを撒くのが普通で、生野菜を食べると回虫の卵がついているからと虫下しを飲まされていた時代です。その後、肥やしの替わりに農薬が出てきて虫下しを飲まなくても良くなった。しかし、知らない間に農薬を体に入れることになってしまった。作る側も食べる側にもそういった知識を伝えるのが食育の役割ですね。

【飯島】そもそも、服部さんが食育に取り組んだきっかけは何ですか。

【服部】1960年代に米国の生物学者レイチェル・カーソンが書いた『沈黙の春』を読んで問題意識を持ったのが最初です。カリフォルニアで渡り鳥が死亡する原因を調べたところ、十数年前にブヨの駆除のために撒いたDDTが食物連鎖の中で凝縮され、渡り鳥を死に至らしめたという話でした。その後、日本でも有吉佐和子さんの小説『複合汚染』がベストセラーになって、食の安心・安全には気をつけなければと思いながら、仕事や研究を続けてきました。そして行き着いたのが食育だったのです。築地市場の移転問題、多くの問題を抱える豊洲市場がとても心配です。

【飯島】実は築地にもあまり知られていない衛生上の問題が多いですよ。

(撮影=村上庄吾)
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