ロボットにはない「共感力」を育む親

(4)の「子供の言動に向き合う。聞く」とは、相手をひとりの人間として認めることに他なりません。

自動販売機の「ありがとうございました」に反応する人はいません(半分冗談で「どういたしまして」と返事する人もいるとは思いますが)。それは、相手を人間でないと認識しているからです。逆に言えば、相手の言動に向き合わない、聞かないという態度は、相手を人間として認識していないということです。

学校で指導に困ってしまうのは、自分のことばかり話して人の話を聞けない子供です。こういった子供は、家庭での会話に満足していないことが往々にしてあります。「忙しいから後で」と聞いてもらえなかったり、もっとかわいそうな場合は、親がいつも不在だったりします。認めてもらえていない子供は、人を人として認めなくなり、結果的に「人の話を聞けない子供」になります。

できる親は、子供の「ねえ、見て!」「何で?」にしっかりと反応します。図工で作った作品の「ねえ、見て!」に、膝をついて子供の目線まで下りて眺めます。そして「素敵! ○○なんだね!」と子供の力のいれどころを具体的に見つけ、驚く。

お風呂あがりに「何でお洋服着ないとダメなの?」というような、大人にとっては当たり前すぎる質問にも、その親なりの解釈できちんと答えます。

「裸だと大事な○○ちゃんがかぜをひいてしまうからよ」
「お風呂上がりにきちんとパジャマを着ると、よく眠れるのよ」

など、様々です。「いいから早く着なさい!」が能率的かつ親の本音だとは思いますが、そこをぐっと飲み込んで、きちんと答えるのです。

その親の態度が、子供が人とコミュニケーションする時の基本姿勢として移ります。相手に向き合い、相手を尊重する人間に育ちます。これは、ロボットには決して真似できないことです。

(5)の「子供を尊敬する」とは、子供の言いなりになったり、あえて子供の下になったりということではありません。

人として対等の立場に立ち、相手の良さを認めるということです。親は、先に生まれただけであって、決して人間として偉いわけではありません。親を親にしてくれているのは、子供の存在そのものです(これは、学校で子供の存在が「先生」という存在にしてくれているのと同じです)。

何かができたから認めるのではなく、存在そのものを認めていくことです。

現に、学校で活躍する子供は、自分の親はもちろん、先生方や友だち、地域の人など、周りのあらゆる人々を尊敬している傾向があります。「私もあなたも価値がある」ということを認識している状態です。国際化が進み、多様な価値観を認めることが求められる、これからの時代に必須の能力です。