デキる親は子供が皿を割っても「褒める」
(2)の「まずは自分で挑戦させて、見守る」とは、子供の可能性を信じることです。植物と同じで、本来、子供は自分自身で伸びる力を持っています。できる親は「やってみなくちゃわからない」を基本の考えとし、かつ実践主義です。旅行はもちろん、あらゆる体験活動に積極的に連れていくことが多いようです。とにかく、まず体験させてやらせてみるのです。
例えば、陶芸体験をさせてみます。子供はろくろで作ってみたものの、恐らくいびつな形になるでしょう。でも、それは当然のことです。できる親は手を出さずにそれを見守り「すごい、よくやったね!」とやったこと自体を認めた上で、子供に意見を聞きます。「もっとこうしたい」とくれば、再チャレンジを促し、また見守ります。
こういったことが、普段から行われているかどうかです。挑戦することに価値を置き、できる・できないは、二の次なのです。
(3)の「失敗を認め、やったこと自体を認める」とは、失敗を前向きにとらえることです。むしろ、失敗を成功へのステップ、必要条件であると考えています。つまり、失敗を集めるほど、成功に近付いているという考え方です。だから、うまくいくかは別として、やったこと自体が「成功」なのです。
自転車を乗ることを例に考えれば、いきなり上手に乗れる確率はゼロです。何度も倒れる「失敗」が成功へのステップになっています。そこを認めていけるかどうかです。効率よく、ひとっ飛びに成功をおさめることは、まさにロボットの得意分野。つまり、効率などは、後回し。非効率こそ人間の得意分野です。
できる親は、幼い子供にも食器を片付けさせます。当然、いつか手がすべって食器を割ることが起きます。実に非効率に見えます。それでもやらせるのです。落としたことを責めるのではなく、運ぼうとしたことを認めます。「落として食器を割ること」を成長の必要条件のひとつと捉えているからです(ちなみに、本音は落として割って欲しいわけではないと思いますので、安いお皿や割れない食器を使いましょう)。