「つくる」のが楽しいからやってるんだ

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
コミュニケーションプロデューサー/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

うまく継続している地域活動と、「俺が何とかする!」という人との間には、お金が循環する仕組みはできてなくても、不思議な「協力関係」が循環しているようにみえます。このようなものを、「人間関係資本」や「ソーシャル・キャピタル」と呼んだりするようです。この協力関係は、貨幣と違って金額の数値で交換できる範囲や条件が決まっているわけではないので、リソースが不足している時にその不足を補うためであれば、「そこまでしてもらえるの!?」というくらい、ものすごく大きな力になることもあるようです。

「俺が何とかする!」という人はなぜ現れ、そしてそれはなぜ循環するのでしょうか?

おそらく、「俺が何とかする!」と言ってくれるような人たちは、その活動に関わることで、「リターン」なるものを自ら見出すことができているのだと思います。そして、もっと言えば、「何とかする!」が大きければ大きいほど、きっと得られる(見出だせる)リターンも大きくなるんでしょう。

ここで言う「リターン」とは何なのか? それは、きっと人それぞれなんだと思います。ただ、多くの「俺が何とかする!」という人たちは、口をそろえて「『つくる』のが楽しいからやってるんだ」と言います。

よく考えてみれば、僕たちが知っている、仕組みとして循環している「仕事」の多くは、対価を「得る」ために「こなす」ことがほとんどです。だからこそ、普段の仕事や生活の中からだけではつくりだせないものを、地域や社会の関係の中でつくり出したい。

僕たちは今、「得る」ということ以上に「つくる」ということを求めているのかもしれません。何をつくるか、ではなく、「つくる」という活動そのものに、人間としての意義を見出だしている、とまでいうと大げさでしょうか……。

市民による地域活動の意義や可能性については、まだまだ議論も発展途上で、開発の余地がある未熟な分野だと思います。

もちろん、お金が循環するビジネスの仕組みは素晴らしいし、助成金などを有効に活用していく、ということも大切ですが、まずはその活動に関わる1人ひとりが「つくる」ということの楽しさを見出して、それに夢中になっている、ということがとても重要な気がしています。

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