エリートは自尊心が低い!?

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
コミュニケーションプロデューサー/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
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「無条件肯定」の真逆にあるのが、「条件付き肯定」です。それは、自分が社会のなかでどれくらい有能な力を持っているのか、といった社会的比較の指標のなかで、自分の価値を“条件的”に認めることです。僕たちは学校で、テストでいい点数をとるとほめられ、勉強が苦手な場合でもスポーツでいい順位をとれば評価されてきました。それは、社会人になっても変わることなく、常に比較されながら「条件付き肯定」を奪いあう戦いをくりひろげています。

そんな社会的条件の階段を上りつめたのが、俗に「エリート」と呼ばれる人たちです。なんと彼らは、「自分は社会的に有能だ」という実感や強い自信は持っていても、自尊心や自己肯定感は低いということが多いようなのです。

なぜなら、「エリート」と呼ばれる人たちは常に“高い条件”で社会的に認められてきたために、人生の中で「無条件の自分」の価値を意識したことが少なく、「条件を失う」ということがとんでもなく危険なことだと感じてしまうようなのです。そして、身近なところに自分よりもさらに条件的に優れた人間が現れると、自分の存在価値や自尊感情が脅威にさらされて、ネガティブな嫉妬心に火がつき、時には攻撃的な態度に出てしまうのです。

社会に出て仕事や活動をしていれば、「社会的比較」や「条件」は永久につきまといます。それ自体は仕方のないことだと思います。しかし、嫉妬のたびに相手を拒否したり攻撃したりしていては、人間関係は不調になり、当然仕事もうまくいきません。

どこにいけば、社会的条件抜きの“ありのまま”の自分に出会うことができるのか?

どうすれば、「無条件の自分」を認め、自尊心を高めることができるのか?

そして、どうすれば、自分より条件的に優れた人間を歓迎し、健全なコミュニケーションをとることができるのか?

挨拶ひとつ取っても、所属や肩書の説明が必要な(気がしてならない)「条件だらけ」の都会で働くビジネスマンにとっては、とんでもなく難しい問題なのかもしれません。

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