取りたての電話に叩きのめされる夫婦
私の場合、お金がなく親も遠くに住んでいるため、闘病のサポートに毎日多くの時間を割いています。仕事に支障をきたすこともあり、心身ともに疲れることも少なくありません。妻はやさしいので感謝してくれますが、お金の心配をさせてばかりなので、とても闘病のサポートができている、とはいえません。お金がないことは、闘病者の生きる気力を削ぐことがあるからです。実際、お金がないため治療をあきらめる人は、めずらしくはありません。このことからもわかるように、愛情よりもお金があるほうが闘病のサポートはうまくいき、パートナーを安心させることができる、と思うのです。
私たち家族が住むマンションの1階は100円ショップです。スーパーよりも安い物がたくさん売っているため、よく利用するのですが、私の財布には1000円も入っていないことが多いため、お金を払うとき、財布のなかを見られているような気がして、恥ずかしい思いをしています。
親が子どもにお金を借りるようになったらおしまい――。
少し前まではそう思っていましたが、いまではちゃんと返すのなら、やむを得ないときもある、と思うようになりました。ダメでクズなパパとは思いますが、恥ずかしながら消費者金融以外に借りるところがない月は、小学校6年生の娘に借りることがあります。娘が家にお金がないことに気づき、「貸そうか」といってくれることもあります。情けない限りです。
このような金欠状態になると、絶対に支払わなければならないものが払えない月も出てきます。たとえば、妻の国民年金ですが、催促の電話がきたとき、「医療費が高額なので払えません。それに、あと何年生きられるかわからないので……」と妻が言い訳をしたことがありました。すると「半額免除の手続きの書類を送りましょうか」といってくれたことがあります。ありがたいことですが、この半分を払うのも苦しいのが現状です。
特別区民税、都民税の場合は、1カ月でも払わないと電話がかかってきて、「すぐに払ってください。払えなかったら、差し押さえなどの法的手段に訴えるよう、書類を回しますよ」と脅されてしまいます。この電話で妻は絶望し、寝込んでしまいました。こちらが払わないのがいけないのですが、どんな事情があるかなんて、考慮されないのです。クレジットカードの催促の場合は、電話に出ないと、毎日電話がかかってきます。
これらのお金は遅れてもなんとか払っていますが、夫婦で支払いのことを話し合うときは、いつも叩きのめされます。妻の闘病に一番の毒、といっても過言ではありません。私もお金の話になると、生きた心地がしないことがほとんどです。パートナーに対する愛情なんて、なんの役にも立ってくれません。私に甲斐性がないのが一番の問題ですが、愛情が売れるのなら、いくらか売りたくなるくらいです。だから、闘病のサポートは“お金”で決まる、と思ってしまうのです。