「孫さんに惹かれていったのは、そんな取材活動を通してでした。彼は『デジタル情報革命によって人の夢をかなえる』と繰り返し夢を語り、大きな目標を掲げて邁進していたのです。そんな人物から声をかけられたことは私の誇り。

入社後、孫さんが社員に紹介する際、『10年間のラブコールが稔りました』といわれたときは、思わず涙ぐんでしまったことを覚えています」

田部は10年、モバイル用の新聞、雑誌などの電子コンテンツを配信サービスする社内ベンチャーを立ち上げる。広報室長が自ら起案し、遂行するのは異例のことだろう。「それもまた、ソフトバンクの面白いところなんです」

(敬称略)

孫正義から現役幹部へ「迷ったときほど遠くを見よ」が羅針盤
ソフトバンク執行役員 青野史寛氏

迷ったときほど遠くを見よ──。ソフトバンクの指針となる「新30年ビジョン」を、悩みながらも策定しようとしていた青野史寛に孫正義が送った言葉だ。「30年なんて目の前を見ているから船酔いするんだ。すぐれた船乗りは北極星を見て航行する。青野さん、300年で考えよう」。そこから作業は一気に進展、改めて孫のスケールの大きさを実感した。
青野は20代の多くを過ごしたリクルート在籍時代、創業者・江副浩正の秘書を務めたことがある。当時、江副ほどの経営者はいないと確信していた。ところが、孫と出会って認識を改める。ともに歴史に名を残す事業家には違いないが、2人が持っている世界観に決定的な違いがあるというのだ。江副は儲かるビジネスを創り出すことに軸足が置かれているのに対し、孫は「世界を変えていこうという革命的な世界観。器が違うなぁと衝撃を受けました」
ソフトバンク元広報室長 田部康喜
1954年、福島県生まれ。東北大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。東京本社経済部、朝日ジャーナル編集部、大阪本社経済部次長、東京本社経済部次長、同企画報道室副室長、論説委員などを歴任。2002年、ソフトバンクに入社し、広報室長に。10年には社内ベンチャーを起案し、株式会社ビューン設立、取締役会長に。12年4月より一般社団法人麻布調査研究機構代表理事。著書『ジャーナリズムは死なず』を刊行予定。
(小倉和徳(孫正義氏)、遠藤素子=撮影)
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