リーダーもフォロワーも経験する
生徒たちの力量が拮抗しているからこそのメリットはまだある。部活、学校行事などで、誰がリーダーになってもおかしくはない。「文化祭ではAさんがリーダーだけど、運動会ではBさんがリーダー」というように、状況によってリーダーが変わる。リーダーが固定化しないのだ。
あるときはリーダーとしてリーダーシップを学び、あるときはフォロワーとしてフォロワーシップを身につける。どんな組織にどんな立場で関わっても、自分のすべきことが自分で見つけられるようになる。
特に女子校の場合、「生徒会長や応援団長は男」というような既成概念は絶対にない。男子校なら、部活でおにぎりを結ばなければならない場合でも、女子マネージャーがやってくれるというようなことはない。全部自分たちでやらなければならない。男子校・女子校では、「男だから」とか「女だから」という概念がないのだ。実は男子校・女子校はジェンダーニュートラルなのだ。
男子校・女子校の教育的メリットについては、拙著『男子校という選択』および『女子校という選択』(ともに日本経済新聞出版社)を参照いただきたい。
学力最上位に位置する中学に入学した場合、「小学校では常に一番だったのに、受験をしていい中学に入ったら平均以下の成績になってしまい自信を失うケースがある」といわれることもあるが、よく考えてみるとおかしい。中学受験をしている最中から、塾の模試を受ければ自分よりできる子がたくさんいることは知っていたはず。第一志望の名門校に入ればそんな子ばかりであることは最初からわかっているはず。そこで平均以下だからといって落ち込むことはないはずだ。
しかしそれでも落ち込む子がいるというのは、子供本人の問題ではなくて親のせいではないかと私は思う。「こんな成績でがっかりだ!」と親に叱られ続ければ、子供が自信をなくすのは当然だ。子供自身が勝手にショックを受けて勝手に自信をなくすということはまずないのではないかと私は思う。
地元の小学校では常に一番だったのに、私立中学に入ったら一番ではなくなってしまうというのは、実は子供にとっては貴重な機会でもある。親が余計なプレッシャーさえかけなければ、の話だが。
これまでずっと「優等生」でいなければいけなかったのに、中学に入ってからは「優等生」をやめられるのだ。常に一等賞をとらなくていいのだ。他人の目を気にせず、自分らしく好きなように振る舞うことができるのだ。
学校は勉強だけをするところではない。仮に成績上位になれなくても、部活では活躍できるかもしれない。行事の仕切り役として手腕を発揮するかもしれない。クラスのムードメーカーとしてなくてはならない存在になれるかもしれない。そうやって「優等生」が新たな自分を発見することができるのも、難関校に通うメリットなのだ。
(教育ジャーナリスト おおたとしまさ)