その頃、新型二次電池の商品化を妨げていた最大のネックは、正極と負極と2つあるうち、負極にこれぞという材料が見つからなかったことだった。それ以前から金属リチウムを負極に用いた一次電池があり、これを二次電池に応用したらどうかという研究は続けられていたが、金属リチウムの化学的な反応度が高く、発火事故に対する安全性を維持できずにことごとく失敗に終わっていた。

そこで吉野の頭にひらめいたのが、ポリアセチレンを負極材料に使うアイデアであった。この物質が高い起電力を持っていること、水や空気の影響をあまり受けずに扱いやすく、安定している点に着目したのだ。「ひょっとすると、金属リチウムに欠ける安全性という重い課題をクリアできるかもしれない」という期待のもと、今日のリチウムイオン電池につながる長い道のりの研究がスタートした。

研究がスタートしてすでに1年が過ぎ、悶々とした日々を過ごしていた82年の年末、思わずハタと膝を打つ記述に目がとまった。英オックスフォード大学のジョン・グッドイナフ教授が80年に発表した論文である。そこにはコバルト酸リチウムという化合物が二次電池の正極になる可能性があると書かれていて、4ボルト以上の高い起電力が得られるという。

83年の年明け早々、論文の通りの化合物を合成して正極とし、負極にポリアセチレンを組み合わせて電池を試作した。さっそく、充電してみる。すると、スムーズに充電できるではないか。では、放電はどうだろう。こちらも、スムーズに放電した。ポリアセチレンを負極にした新型二次電池が、まさに誕生した瞬間であった。

85年頃に電池の構造が固まったとはいえ、基礎技術を実用化につなげるには幾多の試練が待ち受けていた。「それからの数年間はまさに試行錯誤の連続だった」と吉野が振り返るように、うまくいくなと思うと新たな壁が立ちはだかったり、思わぬハプニングに見舞われたり、決して平坦ではない道を辿って試作品の完成にまでこぎ着けた。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(大沢尚芳、永野一晃=撮影 AFLO)