リチウムイオン電池を発明したのは、旭化成だが、実際の商品化に世界で初めて成功したのは、ソニーである。その開発の中心的な役割を担ったのは西美緒(にしよしお)・元マテリアル研究所長。87年初めから研究開発に取り組み、ほぼ4年後の90年暮れに製品としての完成をみた。
電池の研究は、西と新入社員2人の計3人でスタートした。正極はグッドイナフ教授のコバルト酸リチウムという避けることのできない材料が存在していたため、負極にどのようなカーボンを使うかが商品化へ大きなカギを握っていた。
カーボン材料としては、ポリアセチレン、コークスなどがすでに検討されていたが、西が着目したのはハードカーボンという素材であった。黒鉛のような分子構造が整然としたカーボンは3000℃の熱処理に1ヵ月近くかかるが、分子構造の粗いハードカーボンは1100℃程度で2、3日のうちに焼成することができ、しかも正極との組み合わせも当時としては最適であることがわかった。
開発に目途がつくと、西は福島県・郡山にある電池工場に派遣され、本格的な製品づくりに着手した。バッテリー事業本部第一開発部長の肩書を得て、部隊も一気に15人規模に膨らみ、それから間もなく商品化を実現する。もちろん、新型電池に要求されるエネルギー密度、サイクル寿命、安全性について一定のレベルをクリアしての合格点であった。
翌91年、京セラの携帯電話に搭載されて、ソニー製のリチウムイオン電池が世に出た。その後、8ミリビデオカメラやデルコンピュータのパソコンに採用されて市場を急速に拡大し、一時はソニー製が世界シェアの9割近くを占めたことがある。
リチウムイオン電池が吉野や西をはじめとした日本人のオリジナル技術であることは十分説明してきたところだが、「日本発」のリチウムイオン電池に関する特許出願の状況がどう推移しているか、世界の特許庁の動向から調べてみよう。
日本の特許庁が09年度にまとめた「特許出願技術動向調査報告書」によると、以下のような結果になっている。98年から07年までの10年間、日本、米国、欧州、韓国、中国の5カ所に出願されたリチウムイオン電池関連特許は、累計で2万6888件にのぼる。このうち、日本国籍を持つ出願人が66.1%と3分の2近くを占め、次いで韓国籍13.8%、米国籍8.0%の順となった。
日本のオリジナル技術だけに全体の約3分の2を占めて圧倒的な存在感を示すが、これを年次の推移で追っていくと別の側面が見えてくる。初めのうちこそ日本国籍が最も多かったものの、途中から韓国籍が急増し、近年は中国籍が右肩上がりで増加している。日本が市場シェアで韓国、中国に追い上げられているのと同様に、特許出願でも彼らの足音がますます高まりつつある。
現に、ソニーを先兵に初めは快進撃を続けた日本のリチウムイオン電池だったが、韓国勢の猛追を受けてここ数年大きくシェアを落としてきた。10年における世界シェアで見ると、日本は三洋電機、パナソニック、ソニー3社で37.2%なのに対し、韓国はサムスンSDI、LG化学2社が34.1%にのぼり、その差はわずか3%にまで迫ってきている。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時