妻の心配、「円形脱毛症」は免罪符か?

妻を気遣うにしても、まずは私の精神状態がよくなければなりません。そのことを痛感する事件が、すぐに私の身に降りかかってきました。右の後頭部下あたりの髪の毛が、日に日に抜けていったのです。

禿げたところを指先で触ってみると、まるでワックスをかけたかのようにツルツルしていました。ラッキョウのようなツルッパゲになるのも時間の問題か……と思うとなんだかおかしくもあり、自分が自虐の道化師にでもなったかのようでした。最終的には縦6センチ、横8センチくらいに広がったところで、抜け毛は治まりました。

髪の毛が抜けていくことには驚きましたが、それほど悲観はしませんでした。乳がんになった妻のことを心配して、大きなハゲができるのは当たり前のことのように思えたからです。もし髪の毛が抜けていなければ、本当に妻のことを心配していることにはならないのではないか、とさえ思えたほどです。

幸い、大きなハゲにも関わらず髪の毛で隠れてくれたため、見た目にはわからない状態でした。けれども妻の場合は、抗がん剤治療が始まれば、髪の毛は抜け落ちてしまいます。かなりのショックを受けるのは間違いありません。

そこで私はこれを機に、スキンヘッドにしようかと考えました。夫もスキンヘッドになれば、妻を勇気づけることにつながるのではないか、と思ったのです。そして、ハゲピィ桃山というペンネームで仕事をすればいい、いや、これでは露骨すぎるのでキューピィ桃山のほうがいいかな、とどうしょうもないことを真剣に考えるようになりました。

スキンヘッドにすることを親しい同業者たちに話してみると、「そこまですることはないよ。奥さんの力になってあげるだけで十分」と強く引き留められました。妻に話してみても、同じような答えが返ってきました。

たしかにそのとおりかもしれない、と考え直しましたが、本当に私は、妻のことを想ってスキンヘッドにする気があったのだろうか? と思わずにはいられませんでした。いや、きっと安っぽい感傷によるポーズに違いないのです。本気でスキンヘッドにしようと思ったのなら、人に意見を求めることなく行動に移していたはずです。昔から私には、このようにいやらしい大げさなところがありました。ちなみにハゲたところの髪の毛が生え揃うのに1年半ほどかかりました。

とにかく妻の力になるには、妻の病気について、あまり調べないことにしました。逆ではないか、と思われる方は多いでしょう。無責任な夫だ、と呆れてしまう方も少なくないと思います。それでも、調べてよくないことをいろいろと知ってしまったら、気が小さいところのある私は落ち込むばかりです。これでは心の余裕がなくなってしまい、仕事にも支障をきたしてしまいます。

考えようによっては、私は医者ではないので、そんなことを知っても妻を治してあげることはできません。ただ、妻が病院に行くときは、できるだけ付き添うことにしました。

また、妻の病気については調べなくとも、がんの治療をアシストしてくれそうなことについては、時間を見つけては調べていました。たとえば、ウォーキングや爪もみ療法、丹田呼吸法、ふくらはぎマッサージ、にんじんジュース、ビール酵母、生姜などを妻に勧め、私も付き合うようにしたのです。

2週間もすると、妻は少しずつ心の整理ができるようになってきました。母は強いなと感心しましたが、実はいつまでも落ち込んでいる暇が、妻にはなかったのです。

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