戦後の学制改革の混乱で躍進した灘

灘の創立は1927年。大正時代に教育熱が高まる中、灘の酒蔵が出資してできた。建学者は嘉納治五郎。柔道の講道館を開いた、近代柔道の祖である。

進学校として有名になったのは戦後のこと。実は、戦後の学制改革の混乱に乗じて躍進した経緯がある。

戦後、6・3・3制の導入により、私立の旧制中学は中学と高校に分けられ「中高一貫校」と呼ばれるようになった。一方公立の旧制中学の多くは新制高校に改組した。

もともと12歳から17歳の生徒が在籍した旧制中学が、15歳から18歳の生徒を抱える新制高校に改組したため、下2学年分の生徒は居場所を失う。そこで、多くの新制高校では臨時の救済処置として期間限定の附属中学を設立し、彼らが新制高校に入学するまでの時間稼ぎをした。しかし同時に、学区制が敷かれたため、遠方から通う生徒は、せっかく受験して合格した公立進学校を追い出され、地元に新しくできた中学に編入されてしまうことがあった。

そこで灘は、神戸一中をはじめとする県下の公立進学校の生徒たちを無試験で迎え入れるという施策に打って出る。このことによって、学制改革の煽りを食った優秀な生徒たちをごっそり集めることに成功した。まさに彼らが華々しい大学進学実績を残し、灘は県下のトップ校の地位に躍り出たのだ。

そしてついに1968年、日比谷高校を初めて東大合格者数首位から引きずり落とす。

開成や灘をはじめとする私立中高一貫校には、いまだに旧制中学の薫りが残っている。それが学校文化であり、学校の底力となっている。時間をかけて醸成された底力に、躍進につながる外的要因がタイミングよく重なると、開成や灘のように、大躍進が起こる。こうやって伝統校は、名実ともに名門校となっていくのである。

おおた としまさ
教育ジャーナリスト

麻布高校卒業、東京外国語大学中退、上智大学卒業。リクルートから独立後、数々の教育誌の企画・監修に携わる。中高の教員免許、小学校での教員経 験、心理カウンセラーの資格もある。著書は『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』『男子校という選択』『女子校という選択』『進学塾という選択』など多数。
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