俺がイチローだったら……
本当は体育の先生になりたかったんですが、18歳でスポーツクラブに就職しました。トレーナーから始めてお金を貯めて大学に行こうと考えたんです。
事業を興す最も大きなきっかけになったのは、しばらくしてある一つのお店の閉店に関わったことでした。
その店はもともと経営状態が悪くて、前任の店長が逃げてしまった後釜として「元気のいい奴に最後はやらせよう」とぼくが店長に抜擢されたんです。23歳のときでした。
スポーツクラブって街の一つのコミュニティでもあって、おじいちゃんやおばあちゃん、主婦の人たちの中には毎日のように来る方も多いんです。だから、店がなくなるというのは街の小さな病院が潰れるのと一緒で、ある種のお客さんにとっては唯一の憩いの場が消えることでもあるんです。つぶしたくないから、ぼくも日夜ビラを配って、一生懸命働きましたが、それだけでは無理でした。閉店が決まったときは何十人ものお客様に肩をつかまれて泣かれました。朝から晩まで、ともに汗を流したスタッフのクビも切らないといけなかった。とんでもなく悪いことをしたと感じました。
その施設は行政と組んで出店していたので、市議会員や市長に助けを求めたけれど総スカンでした。で、決定的だったのは、ある一人の市議会員にようやく会えたときのこと。事業再生プランをつくってプレゼンをしたんです。業績は伸びてきているので、どうにか助けてほしい、と。
でもね、1時間押さえてもらったにも関わらず、当日になって「15分で終わらせてね」と言われて、話をまったく聞いてくれないんですよ。ぼくも若かったので腹が立って仕方なかったのですが、そのときキレそうになる気持ちを抑えつけるようにしてふと思ったのが、「俺がイチローだったらな」ってことでした。われながら意味わかんないですけど(笑)。
イチローだったらこの市議会議員も話を聞いただろうし、お客さんも助けてくれる人もたくさん集まって、店を潰さなくてすんだはずだ。それなら、どうしたらイチローのように力のある人物になれるのか――。そのいちばん具体的で現実的なのが、事業家だなと思ったんです。それが今現在の自分にとって唯一可能な力を得る手段だ、って。
その挫折のあと、今後の人生について考えました。それで人生30000日計画をつくったんです。そのとき、生まれてから10000日目を迎える3年後に起業しようと決めました。そしてちょうど10000日目に登記をして、今の会社をつくったんです。