※本稿は、丸山ゴンザレス『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
「スラム=危険地帯」という誤解
”スラム街に暮らす人々”が何を考えているのか、頭の中に迫ってみたい。
まず、最初にしておきたいのは、スラム未経験者にありがちな誤解を解くことからである。よくある誤解とは、「スラム=危険地帯」という前提のことである。もちろん危ない部分もなくはないので、危険だと思う人がいるのは無理からぬ部分もあるのだが、スラムは決してヤバイだけの場所ではない。
どうしてそこまで断言できるのか。それは、私がこれまで見て回ってきたスラムに共通していることがあるからだ。
そこには、ごく普通の人々の暮らしがある。
「大都市部で形成される低所得者層の密集住宅地で、不法占拠によって生まれることがある」。これはわりとしっかりとしたスラムの定義になるのだろうが、私は「貧しい人たちや、問題のある人たちが密集して住んでいるエリア」ぐらいに考えている。細かな定義などは、多くの人たちが集まって暮らすことで生まれる圧倒的な存在感の前には、どうでもいいことだと思っている。スラムに行くのは、枠組みをどう定義するのかよりも、そういった場所に暮らしている人たちの現状を知りたいだけだからだ。
ただし「住人だったら」「昼間だったら」
話を戻すと、「スラムは危なくない」という私の主張の根底にあるのは、「スラムが暮らしの営まれている場所である」という事実だ。スラムには、家族を最小の単位として、それより大きな単位としてコミュニティ(共同体)がある。日本のように核家族や一人暮らしが一般化しているほうが珍しいと思う。
大きなコミュニティが維持されるということは、水道や電気など行政が主導するライフラインのほか、治安もある程度は確保されていることになる。そのため、取材で住人に対して、「ここは安全ですか?」や「住みやすいですか?」などと問いかけても、「安全で住みやすい」と返事される。
「でも、スラムって犯罪が起きるよね?」
そんな疑問を抱く人もいるだろう。犯罪が起きる場所だから危ないという認識、それ自体は間違ってはいない。
先ほどの回答には、「ただし」で始まる「続き」があるのだ。たとえば、東南アジアやアフリカのスラムでは、「ただし」+「住人だったら(襲われない)」や「昼間だったら(大丈夫)」という条件が加わる。