スラムには「ジャイアンの思想」のアレンジがある
襲う側は近所の住人を相手にしない。金がないこともあるし、あとから復讐されないとも限らない。また、安全なのが昼間に限定されるのは、夜になるとスラムに出入りしているよそ者が入り込んでくるからだ。スラムの住人ばかりが犯罪をするわけではないという意味が含まれている。
限定的ではあるが、ある程度の治安が確保されているのがスラムなのだ。暮らしがあるということは、そこにはルールが存在する。暗黙のルールは、人々の習慣として基本的な考え方にかなり強く根ざしていることが多い。
こうした住環境は、どこのスラムでも似ていることが多い。そのせいだろうが、共通している、どこでも見受けられる考え方がある。それは、「富の再分配」がもたらす平等主義という考え方だ。簡単にいえば「ジャイアンの思想」のアレンジである。
『ドラえもん』を知らない人のためにジャイアンについて一応説明すると、ジャイアンは物語のなかでの立ち位置としては番長。主人公の友達ではあるが、基本的には傍若無人。自分のものだけじゃなく、まわりの人の持ち物も所有物にしてしまう。
外出用の「一枚のシャツ」を共有することもある
さすがにそれだとスラムライフでは角が立つので、「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。だけど、それだと君が怒るから、少しは俺のものもあげるよ」といった感じである(後半の気配り部分がアレンジである)。私がジャマイカでの取材で遭遇したのは、まさにこの考え方だった。
スラムで道案内を頼んだ住人に謝礼を渡した。それまで案内を頼んでもいないほかの住人がぞろぞろとついてくることがうっとうしかったのだが、案内人は取り巻いている住人たちに酒を奢り出した。はじめはその意味がわからなかったのだが、自分がお金をもらったので、「みなさんもどうぞ」的な意識が働いているようだった。
このことを在住歴の長い友人に確認したところ、「ジャマイカではよくある習慣」と教えられた。彼らは総じて貧しく、普段から助け合いの精神が当たり前にあって、意識することもないぐらいだという。外出用に使える一枚のシャツを共有することもあるほどだ。
そのため、収入があったら、お金を持っている人が持っていない人に何かを買ってあげたり、ご馳走したりするのが当たり前なのだ。