“この議論はしないほうがいい”

安倍首相は、今夏の参議院選挙後、憲法改正問題に踏み込むか。(ロイター/AFLO =写真)

「そのまま継承しているわけではない」と、見直しを示唆していた村山談話も、安倍首相は「(談話)全体を歴代内閣と同じように引き継ぐ」という菅義偉官房長官の発言を追認する形をとって、「官房長官の見解が政府の見解」と逃げている。もし安倍首相が「ソクラテスの対話」を使って、自分の発言を相手の立場に立って検証していれば、“この議論はしないほうがいい”という結論に至ったはずだ。

日本の植民地支配を認めて謝罪した「村山談話」については、高市早苗自民党政調会長も、「日本は自存自衛のために戦った。資源封鎖されても抵抗せずに植民地になる道がベストだったのか」と見直しを主張していた。しかしながら、自民党内からもバッシングにあってすぐに陳謝している。「ワシントンで政治を勉強した」ことを売りにしているとは思えない後退ぶりだ。

まず見直しを主張するのなら、「自分ならこういう談話を書く」という代案を提示すべきだろう。「侵略戦争ではなかった」というのは、右寄りの日本人だけの発言ではない。「日本はルーズベルトによって不可避の戦争に引きずり込まれたのであり、侵略という言葉は当たらない」と主張するアメリカ人の学者もいる。そうした幅広い証拠を示せば説得力が増すし、自分に対する批判を避けることも可能になる。

このように、「自分の発言がどういう反応を引き起こすか」ということに考えが及ばず、あたかも自分だけの主義主張のように言ってしまうから、「発言」が「失言」に転じてしまうのだ。

決して少なくない「日本大好き」の声

私は、歴史には2つの歴史が存在すると考える。「事実として存在する歴史」と「後世の人々が思い込んでいる歴史」である。

たとえば太平洋戦争の幕開けになった日本の真珠湾攻撃。日本軍がパールハーバーにアタックしたのは歴史的事実だが、なぜアタックしたのか、その理由は諸説ある。たとえばロシアでは、当時の日本軍に戦艦アリゾナを沈める攻撃力はなく、真珠湾攻撃はアメリカ国民を覚醒させるためにルーズベルトが仕掛けた罠だったと信じられているし、この説はアメリカにもある。

政治家が歴史に立ち入る場合には、「事実を集める能力」「自分の考えをまとめる能力」「自分の考えを説明する能力」、そして「相手を説得する力」が不可欠だ。これらの力をすべて揃えなければ、政治家が歴史を書き換えることはできない。そういう意味では安倍首相も橋下市長も高市氏も書き換える“資質”を欠いている。