政治家は発言力とディベート力

橋下発言が世界的に炎上した背景には、当人の国際感覚のなさに加えて、アメリカなどからのこうした日本の右傾化に対する強い警戒感があるのだ。

日本の政治家は昔から失言が多い。では、なぜ彼らは簡単に失言をするのだろうか。結論から言えば、「発言のトレーニング」を受けていないからである。

アメリカの政治家の場合、ハーバード大のケネディスクール(行政大学院)などで、徹底的にディベートをさせられる。自分の発言に対して、クラスメートから縦横斜めに斬り込まれるのだ。高校でもディベート教育が行われて、そうした中で発言の感性が磨かれる。女性問題やネイティブアメリカンの問題、ヒスパニック、オリエンタル……多民族国家であるアメリカという国ではどういう発言をすると危ないのかを経験するのだ。

大統領選であれ、州知事選であれ、地方選であれ、アメリカの選挙では候補者同士が壇上でディベートをするのが習わしである。ディベートの結果次第で選挙の結果が左右されるから、政治家は発言力とディベート力を磨かざるをえない。

その場を仕切るMC(司会者)も、大変なトレーニングを受けたトークのプロだ。ラリー・キング、バーバラ・ウォルターズのような名物司会者がいるが、彼らは頭の回転が速いし、話の展開も早い。インタビュー相手にどういう発言をさせれば場が盛り上がるか、聴衆のクレームを呼ぶか、よくわかっていて、それを引き出そうとする。アメリカの政治家はそういう司会者や聴衆からの厳しい質問に答えて、失言を回避しつつ、ポイントを稼がなければならない。

アメリカでジャーナリズムや討論番組の司会者に対しての訓練としてよく用いられるのが「ソクラテスの対話(的手法)」だ。対話を通して相手の知らないこと(無知)を気づかせる手法である。「ソクラテスの対話」を使って、自分の立場と相手の立場を入れ替えて議論をする。たとえば石原氏を韓国人の立場に立たせて、いかに石原発言に問題があるかを、頭の中を360度回転させて論じさせるのだ。

自分ではない人の意見を代弁させて、自分の意見のどこに間違いがあるかを知らしめるのがソクラテスの対話法の極意である。アメリカのジャーナリズム学校では「ソクラテスの対話」を学ぶし、一般企業の部課長のトレーニングにも使われている。

安倍首相の発言も、物議を醸す要因となっている。「侵略の定義は定まっていない」「侵略の定義は国と国の関係でどちらから見るかによって違う」などと発言したことで、近隣諸国の反発を買っただけでなく、アメリカ議会からも懸念の声が上がった。すると一転、「(侵略の定義は)歴史家に任せる問題」と、いきなり他人任せの発言に修正している。歴史家に任せるなら初めから自分の考え方を披瀝しなければいいのだ。