山本五十六は死に場所を求めていた?

この期、山本は「大東亜戦争」に勝ち抜くための象徴的人物であった。

その山本の真の胸中を陸軍側で理解していたのは、昭和16年に陸軍を予備役となった石原莞爾だったといえるだろう。このころ石原は国防研究会や東亜連盟を主宰していたが、東條嫌いは依然として強く、「東條幕府政治は日本の汚点」といった言をあからさまに吐いていた。その石原の秘書役だった高木清寿は、妻が山本五十六の姪という関係もあって、2人の軍人を直接知っていた。