山本五十六は死に場所を求めていた?

この期、山本は「大東亜戦争」に勝ち抜くための象徴的人物であった。

その山本の真の胸中を陸軍側で理解していたのは、昭和16年に陸軍を予備役となった石原莞爾だったといえるだろう。このころ石原は国防研究会や東亜連盟を主宰していたが、東條嫌いは依然として強く、「東條幕府政治は日本の汚点」といった言をあからさまに吐いていた。その石原の秘書役だった高木清寿は、妻が山本五十六の姪という関係もあって、2人の軍人を直接知っていた。

石原莞爾は、日本の陸軍軍人
石原莞爾は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。(写真=毎日新聞社『一億人の昭和史 1930年』より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

その高木は平成5年(1993年)当時86歳で、横浜市に居を移していたが(宮城県鳴瀬町〔現・東松島市〕から移転)、次のような証言をするのである。その口調はいまなお哀惜に満ちている。