太陽のような柳瀬夫人の励まし

やなせ先生を支えていたのは、定言命法だけではありません。柳瀬夫人という非常に大きな支えがあってこそ、やなせ先生はめげずに仕事を続けることができました。その意味で、アンパンマンは柳瀬夫人との合作に他なりません。

ネガティブなやなせ先生に対し、柳瀬夫人は常に「あなたは普通の人とちょっと違うところがある。必ずいつか認められます」と励まし続けました。陰気だった当時のやなせ先生を、太陽のように陽気であった柳瀬夫人が照らし続けたわけです。

それでは、柳瀬夫人はどんなふうに「普通の人とちょっと違う」と感じていたのでしょうか。その一端が、1987年6月に発売された『週刊ダイヤモンド』の「佐々木信也のトップレディ対談」に掲載されています。

この対談で柳瀬夫人は「なんていうんでしょうね。ただ気がやさしいとかの程度じゃないんです。ちょっと標準をはずれるくらい」としたうえで、やなせ先生は虫も殺せないような人間であり、精神科医からは「あなた、そんなにやさしい目をしてて、よくこんな世の中に生きてますね」と言われたという逸話を紹介しています。

「ムードで暮らしてます」との伴侶評

そんなやなせ先生に対し、柳瀬夫人は自分とは全く性格が違うと認識していました。これから描くものについて、やなせ先生は奥さんに何か話すのかと聞かれた際には「いいません。結局私と主人と性格があまり違うもんですから。私は現実的で理屈っぽい方で、主人はムードで暮らしてますから」と返答しています。そして、やなせ先生の詩集は必ず読んでいるとしつつも「私わからないんですよ。理解できないんです」と、やや素っ気なく思える返答をしています。

しかしながら、この返答には、やなせ先生が仕事に没頭できたカギが隠れています。

1歳の頃のやなせたかしさん
1歳の頃のやなせたかしさん(写真=『やなせ・たかしの世界』増補版/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

柳瀬夫人が「嬉しい話を描いている時はニコニコしながら、悲しい話の時は顔をしかめて描いてます」と話すように、やなせ先生はメルヘンの世界に入り込んでいました。やなせ先生自身が、まるでメルヘンの世界の住民だったと言っても過言ではありません。柳瀬夫人による「ムードで暮らしてます」との表現は言い得て妙です。

当たり前ですが、やなせ先生は現実に存在しています。「よくこんな世の中に生きてますね」と言われてしまう世知辛い世界にいます。過去、何度か自殺を考えたように、こんな世の中に自ら別れを告げるリスクもありました。やなせ先生のようなメルヘンの住民にとって、この薄汚い現実は随分と過酷であったはずです。