「浜松のドン」鈴木修氏の死去
売上高5兆円の大企業となったスズキ自動車の社長、会長を40年以上務めた鈴木修相談役が昨年12月に94歳で亡くなった。
4月14日、浜松市で盛大な「お別れ会」が開かれ、地元政財界の関係者らが詰め掛けて鈴木修氏をしのんだ。
「浜松のドン」と呼ばれる顔役だった鈴木修氏だが、たとえ、どんなに社会的な影響力が大きい実力者であっても、人生の終わりが告げられるとその力も失われてしまうようだ。
浜松市の「大型ドーム球場」計画はその象徴と言えるだろう。
川勝知事の辞任で「子飼い」を送り込んだ
「大型ドーム球場」は、静岡県によって、浜松市の遠州灘海浜公園で進められている大規模プロジェクトである。
鈴木修氏と強いつながりのあった川勝平太前知事がまず、「大型ドーム球場」計画を積極的に推進していた。
ところが、2024年4月、4期目の途中で川勝氏は突然の辞任表明を行い、リニア問題だけでなく、すべての事業を中途半端なかたちで放り投げてしまった。
その状況を見た鈴木修氏は、川勝氏の後継に、自らが担ぎ出し、浜松市長を4期16年間勤めさせた鈴木康友氏に白羽の矢を立てた。
川勝氏の退任ともあって世間の関心はリニア一択だったが、昨年5月の知事選の最大の争点となったのが「大型ドーム球場」計画だった。
鈴木康友氏は出馬会見で、「開放型ドーム球場」を推し進めることを強調して、「やります」と宣言した。
自民党推薦で出馬した元副知事で元総務官僚の対立候補は「ドームありきの議論はストップ」「ゼロベースで再検証」などと真っ向から大型ドーム球場に反対した。
鈴木修氏は「子飼い」の鈴木康友氏に大きな期待を寄せた。
スズキの組織をフル動員させるとともに、鈴木修氏は鈴木康友氏の出陣式で「浜松から初の知事を」と訴え、その影響力を駆使した。
この結果、鈴木康友氏は約7万票の大差で自民党推薦候補を破ったのである。