ただ国益のために仕事をしてきたのに

その後、源内が田沼意次(渡辺謙)と初めて会ったときを回想する場面が流れた。源内はオランダ製をまねして作った量程器(いわゆる万歩計)を田沼に使わせ、こう訴えた。

「国の内でも作れますものを、べらぼうな高値で売りつけられている。幕府は、異国に金銀を吸い上げられておるということにございます。そればかりではございませぬ。長崎では国の内にもある薬草や替えがききそうな薬まで買い入れておる始末。これはいけません。これからは、日ノ本の津々浦々を値打ちのある品を掘り起こし、売り出し、工夫し、逆に売りつける。さような仕組みにしなきゃ、日ノ本は決して豊かになりません」

源内のこの台詞は、彼の人生を的確にいい得ている。源内は安永8年(1779)暮れに52歳で死を迎えるが、その2年前に書いた『放屁論後編』末尾の「追加」に、智恵がない者が自分を「山師」と誹謗することを嘆きつつ、以下のようなことを述べていた。