東京大空襲八日後の「全滅した」焼け跡
時は太平洋戦争末期。東京大空襲から八日後の一九四五(昭和二〇)年三月一八日、東急目蒲線(現・目黒線)の洗足を出る目黒ゆきの電車に、後に作家となる堀田善衛が乗った。目黒区洗足にあった友人の家を「まだ暗いうちに」(『方丈記私記』)出たというから、午前6時前だったに違いない。
堀田が目指したのは、空襲で全滅したと伝えられた深川区(現・江東区)だった。行っても無駄とわかっていながら、知り合いの女のことが気になり、現場で別れを告げたくなったのだ。
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