生き残らなければならないと考えた最大の理由

そして、3つ目のゼミ生に関しては、私が生き残らなければならないと考えた最大の理由にもなった。

私の大学では、1年生の秋に、ゼミに参加する学生の選考を実施している。ガン宣告を受けたときは、すでに選考を終えていたが、ゼミの授業は2年生になった2024年4月から始まるので、私はゼミ新入生たちに、自分の考えを何ひとつ伝えられていなかった。

それは、あまりに無責任だと考え、少なくとも彼らに「モリタクイズム」を叩き込むために必要な6カ月間は生き残っていたいと考えたのだ。

本音を言えば、私は延命にさほどこだわってはいない。やりたいことをやりたいようにやってきたから、さほど思い残すことはないのだ。

ただ、ゼミ生の育成となると事情が違う。やり残したことをやるためには延命が必要なる。だから、いまは大金を投じて自由診療の治療を併用している。そのため月ごとの持ち出しは、軽く100万円を超えている。

先日、個人通帳を確認したら、この1年間で預金残高が2000万円も減っていた。ただ、幸か不幸か、これまで節約で貯めた預金と、株式や投資信託で儲けたお金が3000万円以上あったので、あと何年間かは、いまの治療を続けることができる。

命をカネで買っているような状況なのだが、お金を残して死んでも何の意味もないので、そのことは気にしていない。気にしていることは、ただひとつ、残された時間をどのように過ごすことが最も大切か、ということだ。

いまの私はわき目もふらずに走る短距離ランナー

ゼミ生の育成は、ある程度メドが立った。あと2年間頑張れれば、私のゼミ教育は完成する。ラジオも、やれるところまでやる。

残された課題は、アーティストとして何を残せるのかということだけだ。いまのところ、イソップを超える作品数の寓話を書き上げること。歌手として1回でも多くステージに立ち、あわよくばCDデビューを果たすこと。そして、ミニカーブランドのマジョレットや、グリコのおもちゃの図鑑を完成させることがメインテーマだ。

これらの目標を達成するため、私は全速力で走っている。

その意味で、いまの私は短距離ランナーだ。長距離ランナーは、ペース配分とか、給水とか、ほかの選手との駆け引きなど、さまざまなことを考える。だから、迷いも生まれる。