鳥山検校による「妻」への圧力

吉原の女郎の大半は、まだ幼いうちに貧しい親の手で、借金の担保として妓楼すなわち女郎屋に売られていた。その後、客をとれるようになると27歳ごろまで10年は年季奉公しなければならなかった。しかも、休みもほとんどない過酷な生活を強いられ、性病などの病気で命を落とすリスクも高かった。

そんな女郎たちにとって、客が年季証文を買い取ってくれる、つまり身代金を支払って女郎の身柄を引き取る身請けは、いわば合法的に吉原から抜け出るための唯一の手段であった。

とはいえ、それで幸福になれるかというと話は別である。実際、安永4年(1775)に身請けされた瀬川だったが、その3年後には鳥山検校が、幕府の盲人優遇策を逆手にとっての法外な高利貸しや悪辣な取り立ての責任を問われ、すべての資格、すべての財産を没収されたうえで江戸から追放されてしまう。