無味無臭=悠仁さまの「気遣い」である
天皇陛下は、米国の俳優ブルック・シールズのファンを公言していたし、上皇后陛下は、2018年(平成30年)の誕生日に際しての文書での回答で、英国の作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説に触れ、公務を離れたときに向けて「ジーヴスも2、3冊待機しています」とあきらかにしている。
皇族ももちろん、ひとりの人間である以上、好き嫌いがあって当然である。にもかかわらず、「好きな女優やアイドル、音楽」について「具体的に申し上げにくい」と言わざるを得ないところに、いまの皇族、とりわけ、悠仁さまの置かれた立場があるのではないか。
それだけに、つまり、ニュートラルというか無味無臭の答えだったからこそ、その気遣い自体が、悠仁さまの人柄を結果として伝えたとも思われる。「好きな女優やアイドル、音楽」を聞かれて、誰を挙げようと、「バッシング」の種になった恐れが高いからである。
それほどまでに、これまでの悠仁さまをめぐる報道は、厳しいものだった。
秋篠宮家をめぐる「厳しい報道」
まず、その生まれからして、日本中の注目を集めていた。
2004年(平成16年)、当時の小泉純一郎政権は、「皇室典範に関する有識者会議」を設置する。翌年11月24日に出された報告書は、皇位継承資格の皇族女子や女系の皇族への拡大、さらに、皇位継承順位の長子優先、といった、大きな変更を結論づけた。
悠仁さまが生まれたのは、まさにその翌年だった。国中が祝賀ムードに包まれ、皇位継承をめぐる議論は吹き飛んだのである。
それだけではない。お茶の水女子大学附属幼稚園をはじめ、進学先として、戦後の男性皇族全員が学んできた学習院を選ばなかった。これも、進学のたびに議論を巻き起こした。
とりわけ、筑波大学附属高校への入学以降、「東京大学への進学を希望している」との報道が、週刊誌で相次ぐ。さまざまな尾ヒレというか、噂が飛び交い、まるで、秋篠宮家が一家総出で、ゴリ押しをしようとしているかのような印象すら広まった。
悠仁さまの成長過程が、小室眞子さんの結婚をめぐる動きと重なっていたため、秋篠宮家の教育方針に、批判の目が向けられていたとも言えよう。