関東大震災で亡くなった遊女らを弔った吉原弁財天本宮

遊廓があった頃の面影は、今も残っている。遊廓の様子が見えないようにつくられたとされるS字に曲がった道を進むと、入口にあたる「大門」にたどり着く。「よし原大門」と書かれた比較的新しい門柱があり、一帯には赤い街路灯や昔の通りの名を書いた柱が並ぶ。かつて遊廓内に五つあった神社を合祀した吉原神社や、関東大震災で亡くなった遊女らを弔った吉原弁財天本宮のほか、各所に案内板もあり、その歴史を伝えている。

「吉原遊廓」は、1617(元和3)年、現在の日本橋人形町の「よし原」という地区に幕府公認の遊廓が設置されたのが始まりだ。