海外市場開拓が至上命題だった
パンナム(米航空大手だったパンアメリカン航空)うんぬんのくだりについては、実情はこうである。喜七郎はホテル計画を思いついた当初、パンナム、日本航空の航空2社と交渉を持ち、900万円ずつの3者均等出資による国際新ホテル建設準備会社を立ちあげようとしたことがあった。いかにも国際人の喜七郎らしい発想といえるが、この合弁会社設立は、まだ外資導入が困難な時代だったことなどいくつかの事情から実現することなく、結局立ち消えとなった(※1)。
※1 野田岩次郎「ホテルオークラのできるまで三」ホテルオークラ社内報。
そのころ飛ぶ鳥を落とす勢いだったパンナムは1946年、傘下にインターコンチネンタルホテルズを設立して国際路線を運航する5大陸すべての主要都市にホテルを展開していく計画を打ちだしていた。だから東京でのホテル開発計画にも興味を持ったのだ。
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