夫公認で働く

図版6の夜鷹は、買い逃げをした男に見事、しっぺ返しをしたが、一般に夜鷹はリスクの大きいセックスワーカーだった。

そのため、妓夫ぎゆうと呼ばれる男が用心棒として付き添う。妓夫は、牛、牛夫とも書いた。

夜鷹の亭主が妓夫を務めることが多かった。女房が茣蓙の上で男と性行為をしているのを、亭主は物陰からそっと見守っていたことになろう。

戯作『卯地臭意うじしゅうい』(天明3年)に、夜鷹と妓夫が描かれている。簡略に紹介しよう。

季節は夏。
夕闇が迫るなか、本所吉田町の裏長屋を出た夜鷹ふたりと妓夫が、両国橋を渡って隅田川を越え、商売の場所である両国広小路に向かう。
夜鷹のお千代とお花は、ともに柿渋色の単衣を着て、太織ふとりの帯を締めていた。
妓夫の又兵衛はお千代の亭主で、やはり単衣を着て、唐傘をかついでいた。
永井義男『江戸の性愛業』(作品社)
永井義男『江戸の性愛業』(作品社)

又兵衛は、女房ともうひとりの、つまり夜鷹ふたりの用心棒を務めていることになろう。

ともあれ、当時の夜鷹と妓夫の風俗がわかる。

江戸時代、女の職業は少なかった。亭主が病気や怪我で働きに出られなくなると、たちまち生活が困窮する。

女の代表的な職業は女中と下女だが、原則としてすべて住込みだった。住込みをしていたら、病気や怪我の亭主の面倒を見ることができない。女房が働きに出ようと思っても、職場がなかったのだ。

笑い話になるほど日常の風景だった

やむなく、夜鷹に出る女は少なくなかった。

『元禄世間咄風聞集』に、次のような話がある。

芝あたりの裏長屋に住む浪人は毎晩、妻を夜鷹に出し、自分は妓夫をしていた。
隣に住む浪人も、同じく妻を夜鷹に出していた。
ある日、ふたりは話し合った。

「いくら生活のためとはいえ、自分の女房が不義をしているのを見るのはつらい。貴殿の女房をそれがし、それがしの女房を貴殿が見張るのはどうじゃ」
「それは名案じゃ」

こうして、お互いに相手の妻の妓夫をつとめることになった。
その夜、いつもの場所で夜鷹商売をした。
浪人が、隣人の妻をうながした。

「もはや四ツ半(午後11時ころ)だから、帰ろうではないか。大家が長屋の路地の木戸を閉じてしまうと、面倒だぞ」
「お気遣いなされますな。今夜ばかりは、夜がふけても木戸はあいております」
「なぜ、そのようなことがわかる」
「今夜は、大家のおかみさんも稼ぎに出ています」

大家の女房まで夜鷹に出ているという落ちがあり、一種の笑い話になっているが、実情は悲惨である。

よほどの貧乏長屋だったに違いない。