職場で恥について語ることができているか
いずれにせよ、企業、非営利団体、大学、政府、教会、スポーツプログラム、家庭の文化が、個人やコミュニティの基本的な尊厳よりも、システムや権力者の評判を守ることに重点を置いている場合、間違いなくつぎのような「問題」を抱えている。
・恥が組織全体に浸透している
・共謀が文化の一部である
・お金や権力が倫理に勝る
・説明責任は存在しない
・支配と恐怖が管理ツールになっている
・荒廃と痛みの痕跡が残っている
恥について本音で話すなら、「みんなが安心できる正しい環境」をつくらなければならない。恥について語るのは、極めて有意義なことだ。恥を語る許可を与えることは解放であり、それは暗い闇を照らす光となるはずだ。
人びとは(恥を抱えているのが)自分だけではないことを知るだろう。自分たちの話を共有し、恥を普通のこととし、つながりをつくり、信頼を築いていくだろう。これらは新たな、望ましい行動や文化への移行へとつながる高度な対話である。
恥について語ることで癒され、人生が変わることもある。
「共感」は恥に対する真の解毒剤
悪い知らせは、「恥には抗えない」ということだ。つながりを大切にするかぎり、断絶の恐怖はつねに日常につきまとうし、恥によって引き起こされる痛みも実際に存在する。
ただし、いい知らせもある。恥からの回復は可能であり、しかも学ぶことでだれでも身につけることができるのだ。
「恥から回復する力」とは、恥ずかしい思いをしてもありのままの自分でいられる能力、その価値を損なうことなく乗り越え、恥に足を取られるのではなく、さらなる勇気、思いやり、つながりをもってそこから脱出する能力である。要するに恥からの回復とは、「恥を共感に変えること」であり、これこそが恥に対する真の解毒剤なのだ。
拙著『dare to lead リーダーに必要な勇気を磨く』で「共感」と「自己に対する思いやり」について掘り下げていくが、ひとまずここでは、「共感や理解を示しながら耳を傾けてくれるだれかに自分の話をすれば、恥は消滅する」ということを覚えておいてほしい。
自己に対する思いやりも非常に重要だが、恥は人と人との間で生じる社会概念であるため、やはり他者との関係で癒すのが最善なのだ。
社会的な傷には社会的な薬が必要で、「共感」はその薬である。自己に対する思いやりが重要なのは、恥ずかしい思いをしているときに自分に優しくできれば、助けやつながりを求めやすくなり、共感も得やすくなるからだ。