厳しい「決定」をくだし、穏やかに実行する
その知らせを伝える際は、思いやりと敬意をもって、明確に、寛大な心で伝えます。解雇ではなく退職にすることはできないだろうか? 退職金は支払ってあげられるだろうか?
そしてその人物に自身の退職について同僚にどう伝えてほしいかを尋ね、可能であればその意向にしたがいます。
彼らの尊厳を損なうことなく優しく見送ることは可能か、というのは、むずかしい決断や厄介な会話を避けることとはまた別の話です。これは「だれもが傷つく心をもっている」という事実を知ることなのです。
偉大なリーダーは厳しい「決定」をくだし、それを穏やかに実行します。これこそが、敬意をもって見送るということです。
スーザンに「敬意をもって見送ること」を妨げる要因を聞くと、以下の答えが返ってきた。
・武装すること。だれかを解雇する際に、身構えてしまうリーダーを大勢見てきた。非常に重要な決定であるがために、リーダーたちは慎重にならざるを得ない。その結果、彼らは異常なほど合理的になり、決定を正当化するあらゆる理由を並べ立てる。これは一種の「自己防衛」である。
・時間とお金。本来、敬意をもって見送るには、時間もお金も気持ちもエネルギーもたっぷりかける必要がある。相手を思いやりながら、じっくり話しあわなければいけないからだ。しかし、めったにそういう状況は生まれない。
「隠ぺい」はなぜおこなわれるのか
・身代わりにすること。ときどき壊れたシステムやチームのせいで被害を受ける人がいる。リーダーは自分を顧みて問題の解決策を探すのではなく、(たいてい無意識に)だれかのせいにしようと非難の対象を探している。
・ヴァルネラビリティと勇気の欠如。思考と感情を両立させ、同時に働かせることができないリーダーは、解雇された人物が「泣いたり腹を立てたりする」のを恐れたり、「緊張のあまりわれを失う」自分を恐れたりする。
スーザンはこうしめくくった。「敬意をもって人を見送るにはコツがいります。それは簡単にできることではなく、訓練が必要です。しかしそのスキルを優先的に身につけようとするリーダーや企業はほとんどいませんし、ありません」
恥が蔓延している兆候を示すのは、おそらく「隠ぺい」がおこなわれているかどうかだろう。隠ぺいは、そもそもの当事者だけでなく、共犯や恥の文化によって実行される。
周りが共謀するのは、口をつぐみ、真実を隠すことで何らかの利益を得、あるいは自分の影響力や権力を危険にさらさずにすむからだ。もしくは、恥を利用して人びとを黙らせる隠ぺい文化が当然とされる環境で働いているからだろう。